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ローマの七賢物語 卒論前のその他の課題レポート

心理学

  心理現象の定式化(数量化)について物理現象のそれと比較しながら考察せよ      

 心理現象の数量化は、行動と密接な対応関係をもつ環境物の物理量を測定することによって可能である。 知覚における測定は、既存の物的尺度や物理量を使用し 法則は、関数方程式の形にまとめられてゆく傾向を示す。
 物理学は、人間の周囲を取り巻く自然界に生起する現象(無生物に関するもの) の奥に存在する法則を観察事実に拠りどころを求め追及し 法則のなかで最も基本的ないくつかを数学の形で表現し それを公理、原理とし そこからいろいろな定理を導く手法である。
 ゲシュタルト心理学派のKoffka,K. の環境の概念は、ある生活体が、その時に位置している 物理学的空間の総体 <地理的環境> とある生活体が 、その時現実にその中に置かれている生活環境、 体験されている世界 <行動的環境>である。 Lewin,K は、 B=f (P・E) という公式で B(行動)は、環境条件 E と人 P なる変数の関数であることを示したが、 環境は、物理的、幾何学的に計量された意味の近さではなく 生活体に知られている周囲の事態である。人の知覚過程が違えば行動の差異を決定し 知覚なる条件も媒介変数という概念である。
 心理学的事象についての観察事実の示す心理学的力学の性質に対し それを表現する概念を選び対位的定義をするが、 選ばれた概念体系に対位し置きかえられるのは、 心理的現象特性ではなく、条件発生的に探求された力学的特性を示す事実を指す。 選ばれる概念体系は、知覚過程、思考、情緒過程、価値や社会関係その他広範なものであり 相互依存的な関係にあるものとして示し得ることが要請される。
 トポロジーにもとづく概念体系は、心理学的生活空間の特性に即応する性質のものである。
ゲシュタルト理論の現象特性としての形態なるものは、分析不可能な全体性を備え 素材の如何にかかわらず維持される。無限に近い組み合わせの可能性のなかから特定のものが 一つのまとまった形として見えるのは、法則性が働くからである。
 Wertheimerは、まとまりの原理の諸要因を (a).近接 (b).類同 (c).共通運命 (d).客観的調整 (e).閉合 (f).よい連続あるいはよい形 (g).経験 とに分けさらに「心理学的体制は、そのときの条件の許す限りにおいて簡潔で規則的な良い形態をとる。」 ことを意味する。プレグナンツの法則がある。  ゲシュタルトは、知覚の場合には、客観的諸要因の総体刺激布置に依存する。 物理的対象は、脳髄の神経生理過程という媒介を経ることによってのみはじめて知覚を生じしめる。 知覚過程の全機構を明らかにするには、現象生起に関係する総ての条件を探索する実験が必要となる。 現象の発生原因の条件は、環境の物理的事象及び生活体の反応機構の中に求められる。
 高等動物の各種受容器は、解剖学的構造が分化し ある特定のかたちのエネルギーに対して特に鋭敏に反応する。 この適当刺激の強度があまり弱ければ知覚を生じない。 知覚がおこるかおこらないかの境目の刺激値を刺激閾という。 刺激量の差の弁別の限界値、差がわかるかわからないかの境目の 刺激変化量を弁別閾という。 この弁別閾の値 (Δ R) を標準刺激(R)で割った値を相対弁別閾という。

Δ RR=C (Cは定数)

これがウェーバーの法則である。ウェーバー比・分類の最小値は、 深圧・視覚の明るさ・挙重・音の大きさ・嗅覚・皮膚転圧・味覚など 感覚の種類によりその値に相当な差がある。
 フェヒナーは、弁別閾を感覚の一定量の増加であると考え 刺激の微小の変化に伴う感覚量の変化も同じ関係にあるとし 感覚の量 E は、刺激量 R の対数に比例して変化する。 E=KlogR (Kは定数)  という形にした。 これがウェーバー・フェヒナーの法則であるが、 実際には無制限に妥当するものではなく 標準刺激の強度が中等度の範囲に成立するにすぎない。

 感官生理学は、感官に与えられる刺激と之に応ずる 反応としての各種の感覚との関係、 その間に見られる諸現象の基として生理的に説明する自然科学の基礎的方法である。  刺激閾と弁別閾の問題を発展させたことは、 ウェーバーの法則を 刺激と感覚、もしくは生理過程と感覚との関係を示すものではなく、 また物心の関係を示す特別の法則でない純然たる心的法則とは何かという問題を提起した。

 刺激ー神経過程ー現象なる連鎖の最初と最後の既知の項から 中間項の未知の神経過程を観察することはできないが 推定することができる。
 ゲシュタルト理論は、力学観を取り入れ 仮現運動の説明を試みる。仮現運動とは 客観的に静止した対象が、瞬間的に出現したり消失したりすることによって おこる運動知覚である。適当な条件のもとでは、実際運動との間に現象的差別がし得ない。 現象内容が生理過程の直接の表現であるとみると 中枢に於いての複雑な生理過程も相似であるといえる。 機械観に固執する限り 刺激ー神経過程ー現象は、維持の困難な場合に行き当たる。
 仮視運動は、二つの対象が適当な時間間隔をおいて提示されたときにおこり 空間的な隔たり、刺激強度、露出時間などによっても規定される。 時間間隔と露出時間とを合わせた時間をg, 刺激強度をi,両刺激間(二対象間)の空間的隔たり(距離)を S とし、 適当の価の時に最適運動ー(最適時相では実際運動と見分けがつかないくらいよい運動がおこりうる) がおこり、その価が大きくなれば同時時相― (時間間隔があまり短すぎる時には同時に見えて運動がおこらない)ー になり、その価が小さくなれば、継起時相ー 長すぎてもまた二つの対象が時間を隔てて静止して見えるだけ。)ー になるような価として φ=f(si.g)    (正しくはギリシャ文字の筆記体)  が成り立つ。
『最適時相と同時時相あるいは継起時相との中間の時相では、 二極部分運動、トンネル印象、その他いろいろの印象がおこるが 中でも最適時相と同時時相の間で運動の担い手である特殊な感覚内容は何も認められず、 運動の印象だけがおこることがある。これを純粋ファイ現象 (pure phi phenomenon )という。』(「」『』は引用だがこのレポートの参考文献は記載なく紛失)  これをコルテ(korte.A.)の法則という。

 仮現運動には、たんに事象の位置だけを動かす β運動と、位置の移動と大きさの変化をともなうα運動などがある。
 実際運動において、見かけの速さがあり、運動領域の大きさや運動対象の大きさは、 ともに小さいときの方が大きいときよりも速く見え、垂直方向は(下から上)は、水平方向の運動より 速く見える。
 視空間でも、垂直線分は水平線分よりも長く見え、空間の異方性の1つである月の錯覚現象がある。 客観的な事物の大きさや形などの関係が著しく違って知覚される場合を錯覚というが、 日常の環境での刺激は、複雑な配置をしているため、知覚は刺激そのままの引き写しではない。
 真っ暗の場面のような、現象空間の基準を代表する具体的な天井や床などの主要線もなくなってくると、 空間的基準は、自己が背負い込む。
 「周囲の背景となる刺激が一種の枠組みとなり、それが基準になって特定の知覚は性格づけられる。 この基準となる枠組みの構造である基準系あるいは関係系は、知覚ばかりでなく、 さらに広い領域に通じて認められる事柄である。引用文
 恒常現象は、物体から官感におにはいる物理的エネルギーは、いつも変化しているにもかかわらず、 あるいは、刺激の媒介条件の変更によって、直接官感に与えられる刺激が変化しても 知覚されるものが安定し持続性をもっていることを示す。 直接の刺激よりもその源である事物の状態を、より忠実につかむように知覚が働く。 本来の直接に受容器に働く刺激を近刺激 (proximal stimulus)   その源である事物を遠刺激 (distal stimulus) と呼ぶ。  恒常現象は、大きさ・形・色・音強度・見かけの速さなどに認められる。

Bruns wik は、恒常の程度を示すのに次のような指数を考えた。
           R = 100 x ( S - P ) / ( W - P )
W は標準対象の大きさ、 S はW と見かけの大きさの等しい比較対象の大きさ、 P は W と視角の等しい比較対象の大きさである。
R は、無恒常のとき  0, 完全な恒常のとき 100 になる。 この式は事実に合わないとされているが、 心理現象の数量化の単純な1例である。

 精神物理学は、大脳の知覚野に知覚表象と同型的な生理過程が成立するという考えを 前提とし、心理物理的対件が成立するダイナミックス (dynamics) 力学を探求する。  知覚は、知覚系以外の機能からも制約を受ける。 要求・態度・パーソナリティ 等の個々の条件が知覚に影響を及ぼす。
  ゲシュタルト理論は、刺激布置の影響のみに依存せず、 生活体自体とその際の内部的な場の支配を、 現象研究から行動とその変容に応用した。  従って、知覚問題は、現象・行動・の解明に際して一つの媒介項として考慮される。 (『講義の教科書をもとにして書いた原稿手書き文』から)

金田一春彦『日本語』(昭和57年 9月29日版) について 1982年の課題レポート

 本書は、日本語の特色は何かという目的で難解な日本語を いろいろな方向から見た著者の試論が展開されている。 世界の諸言語の中の位置づけに始まり、内部の乱れを告発し、 されに文明と生活様式にも言及して論を進めている。 語彙の面で、ヤマトコトバ・字音語・西洋語を比較しながら、 非体系的な日本語を繊細なタッチで分析している点が読者の興味を 深めてゆく。 著書は、国語学を専攻し、日本語に関する著書を、この他に多く 著わしている。 内容は、 一、「日本語の位置」 二、「日本語の種々層」 三、「発音から見た日本語」 四、「語彙から見た日本語」 五、「文構成から見た日本語」 から成り立っている。
一、「日本語の位置」では、孤立した言語は文明の歩みに取り残され、純粋な領域内で 行儀よく行われているということが特色であるとして シナ語の影響から日本語は広義の外来語の多い国語だとした。 字音語は、抽象的な意味の表現、力強い響きの付与などの恩恵を与え いくつかの語根を組み合わせて新しい語彙を作れる特色があると指摘した。 (語根とは「ほのか」「ほのめく」「ほのぐらい」の「ほの」、 「しずか」「しずけし」「しずまる」の「しず」の類 広辞苑から) 同音語が多いという困難に対しては、 <漢字一字一字ずつを組合わせて新たに字音語を作ることはやめる。 ごく少数の接頭語的なものだけ、それもすでにできている、 まぎれない字音語だけにつけてもちいる>という方針をたてた。

二、「日本語の種々相」では、 日本語が乱れている原因は、日本語が非常に多くの小言語の複合体であることにあって、 方言の差は、閉鎖的な未開社会の生活様式に規制されることによって生じたとのべている。 外国の軍隊も特殊な言語をもっているが、日本では、 仏教社会、花柳界、博徒仲間、官庁、学界に独特の語がある。 一般の人々の上に勢力をもっていた文語と言文一致の運動について 解説し、男女の会話で英語では把握できないその年かっこうや 相互関係まで日本語は推察させうると言っている。

三、「発音から見た日本語」では、 韻文のリズムを形成する点のような拍について 合計二十数個の母音と子音で単純に構成され種類も少ない特色をあげた。 高低アクセントはあるが、強弱アクセントがないことから各拍は、 同じ長さに発音される傾向が強く 拍の数に対して敏感で七五調、五七調とか音数率が発達している。

四、「語彙から見た日本語」では、形容詞の不足は中位概念をさす言葉が欠けていることで 動詞は意味が広く、当然ちがって表すべきものを 同じ動詞が表すことがあると言い 同音語の種々の聞き間違いと関連して、ヤマトコトバ・字音語・西洋語を含む語彙体系 の難しさを感ずる。 自然を表す語彙は、『歳時記』をみると、四季の変化と密接であり それが日本的だと考え、地形、水勢、水、植物、動物 それぞれの語彙の特色を説明している。
 人体に移ると、身体部位と内部の名称は、シナ語、ヨーロッパ語によって 得ることができ外傷と病気の名称は、ヤマトコトバのものはほとんどない。 しかし死に関する名称は多い。 日本で古くできた日本製字音語の中に心の動きを表わすものは多く、 古来悲観的な意味をもつ形容詞も多数あった。
<敬譲表現>の問題について 『その文面には、なんら待遇のちがいをあらわさないはずの語彙でも、 いつのまにかこの語は上位の人に対して、この語は下位の人に対して、というように、 使い方が限られている語が多いことである。』 と言い、日本特有の社会制度の影響として西欧語にない語を列記している。

五、「文構成から見た日本語」では、センテンスの終りが明確な日本語の性格を 日本人はもてあましてき来たと説き、女性の表現や切れるともとれ、続くともとれる 文章の書き方を批判しつとめて短いセンテンスで 趣旨の明快な文章を書かなければならないと 結論を出した。 そして、文法解釈に入るが、その中で、日本語の論理的な形式要素は どこにあるのかという探索は、語順の法則と不便さを克服して、 センテンスと接続詞によるかかりうけの確認となる。 和歌、俳句、古典文学の一節、現代文学作品の文章の一節などの 例をあげて、それらの読解と鑑賞力に必要な文法について論じているので、読者は、 前章の一部にあった「抽象的な意味を表わす語彙」における個々の 空間的、色彩的語彙への興味を持続して精読できる。

 本書の書評に関し 著述の目的は序文と跋とを照応させて知ることができた。 『日本語について一番弱点だといわれる点は、日本語は複雑にすぎる一事である。 が、この批評は、文字の面をいう場合、ことに正当である。』と述べている。 その他に、バスク語、琉球語、アイヌ語、朝鮮語、チベット語、 ビルマ語、ウラル・アルタイ語などあらゆる種類の言語との比較も留意点である。