Modern English metaphrase of THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)
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[参照] ミッドランドバージョン対訳の前に

S

1985年 卒論ローマ七賢物語(サウサーンバージョン)より

橋 泉

以下の原文はPolyの貴族が塔で思い巡らした詩行抜粋
[B] "Betwen them than than was accorde" (Between them two than was accord)
[Ar] "þat many ryng was þer lick" (that many ring was other similar)
[F] "That the ryng was ever with þe lady" (That the ring was ever with lady)
三つの版を並列させて始めてME期(中期英語)の英語表現の微妙さが欺かれた者の心理と
思考の解釈を可能にさせる。
「彼女の夫が与えた黄金の指輪と武士の指にはまっていた指輪二つが一致するなら」
「多くの指輪は他と似通っている一つ」
「あの指輪はずっと夫人のものだった」
 
 狩りに誘われた日武士は言った。
[B]"Ffor j have harde a newe tydynge" (For I have heard a new message)
「私は新しい伝言を聞いた。」
[E]"For me ys broughte a new thynge" (For me ys brought a new message)
[Ar]" For me is come a newe tythyng" (For me is come a new message)
[F] "For to me ys come newe tydyng" (For me to come new message)
「私に新しいメッセージが届いた。」
本国での平和を勝ち取った報知が来ているという内容だが、[B]版のみ現在完了を使用。
現代英語の用法では、just now, only already, yet , などの副詞を伴うことを考慮して、
先の夫人の会話" Lo, here hit ys alredy" (Look, it is alrady here)「見よ、それはすでにここに」
原文にはないが、
The knight has left already,「武士はもう出て
The earl just arrived.    貴族は今着いたばかりだ。」
というような現代英語の代表的な二つの文例をそっくりそのまま物語の経過に組み入れてしまえる。
詩行は順を追って指輪と夫人と二人の男の動きを捕え得るが、現在完了形の使用に気付き
文が立体的に整うような錯覚と地下通路の筋書の巧妙さが物語を豊かにし、
中世的ロマンスのあや『文、採、綾 』岩波国語辞典 を直ちに読者に提供する明確さ
を備え持つ七賢物語中の傑作である。
 新しい知らせを届けたのは、はるばる多くの国でナイトを (knight:金子健二氏の訳語は武士)探し
尋ねて来た武士の国の情人であると彼はPoly城主の貴族に言った。
 探す:seek は四種の原文すべてが現在完了形を用いた。
[E] "Myne owne lemman hathe me sought" (My own lover has me sought)
[B]"My lady that me wide hath sowght" (My lady that me wide has sought)
[F] "My lemman þat hath me wyde ysoght" (My dear one that has me wide sought)
[Ar]"Þat wyde haþe me souӡt in many contre" (That wide has me sought
  in many country.)
let, make, bid, have, の使役動詞とwill, shall, may, can, の助動詞の使用が多く、さらに
完了時制が加えられたイギリス最初の韻文物語は、チョーサー(Geoffrey Chaucer)
"The Canterbury Tales" カンタベリー物語と比較されるMEの英文法、『英吉利文学発達史上から
観察して非常に大切な興味のある作品である。』

"The knyght hadde alle redy dyght" (The knight had already prepared)
 狩りの共を断り貴族が森に行っている間に武士は、すでに彼の望む情人を慰める食事の準備
を整え、狩りから戻った貴族を塔の側に造った彼の石造りの家に迎えた。
武士は彼の家において、数多の黄金とstone宝石の指輪をはめて
豪華な花冠を被る遠い北国の婦人"a lady of a nodur contr" (a lady of a north country)
の衣服で伯爵夫人を彼の情人に変装させていた。
武士がそのテーブルに着く前に婦人の傍らに座った城主(原文earl: 伯爵)は彼女の顔を
いくどとなく見て不思議に思った。
" Ne come to hys wyf at morne ne eve" (Not come to his wife at morning not evening)
誰も堅固な塔の錠を壊せないのだから「彼の妻が朝な夕な来るはずがない。」
"That many a woman was (or ys) oþer liche," (That many a woman was (or is)
like other) 「多くの女性は他の女性に似ている」 『世の中には似た婦人は沢山ある』
"As was þe knyӡtes ryng of prys" (As the knight's ring of price)
"Þat he wende had bene his." (That he suppose had been his.)
それはちょうど武士の高価な指輪を彼の物だと密かに思ったようにと食事の長い時間ずっと
考えていたがその懐疑心を捨てた城主に、武士は彼女は私の国から来た者(lady)であると紹介し、
その知らせとは彼が故国で殺害した武士(the knight)に対し和解が成り彼女と帰郷できる
ということだった。
E版 "To vysyte my frendys euerychon" (To visit my friends everyone."
私のすべての友達を訪ねるために。
Ar版 "Whene þise wordes wer jdone" (When this words were all done)
この言葉が終わった時直ちに家へ帰った。
この場面で貴族の家の語彙はhomeで、城castle、や宮殿palace ではない。
B版"Whan the erle home went" (When the Earl went home)

貴族がうちに帰るや否や夫人は武士のお国の衣装を脱ぎ彼女自身の衣服に着替え、武士は彼女を
彼の内密の道(his private way)を通って塔へ導き、武士が外に出たとき貴族は
すでに塔の内部に入っていた。
E版 "Vnnethe the knyght was agon" (Scarcely the knight was gone) 過去時制
   "That the Erle cam jn anon" (When the Earl came in at once)  過去時制
     直ちに貴族が入って来た時、かろうじて武士は立ち去ったのだ。
貴族の家から塔までの距離を表す詩行は
Ar版 "Into þat tour by anoþer stede" (Into that tower by another horse)
   その塔の部屋へと他の馬に乗って
F版 "In to the towre be anodur way" (Into the tower by another way)
   その塔の部屋まで他の道を通って
である。そしてそこに妻を見出し喜んだが彼女に似た夫人を思い返した。
F版"And therfore that ylke nyght" (And therefore that same night)
   "He dwellyd with that lady bryght," (He dwelled with that lady bright)
故に彼は同夜美しい妻の所を去りかねた。
一方武士は、一隻の帆船を調達し水夫に城に持っていた彼の鎧や品物を積ませた。
his goods はB版によれば、彼の家でなくその城にあった。
"His armour and his oþer thynge," (His armour and his other thing)
"That he had in that Castell;"    (That he had in that Castle;)

翌朝貴族は彼女を残してひとり教会へ行きミサ曲を聞いていたが神は時間を与えたのだ。
武士はすぐ塔へ入り夫人を階下に連れて地下通路から彼の住む家へと行き、再び見分けが
つかないように彼女を飾り立てて直に武士の主君たる貴族の許へ参った。
"And prayed hym with myld word"  (And prayed him with mild word)
"That he wolde come blyue"    (That he would come believe)
貴族が信じるようになるやさしい言葉で嘆願した。
ディナーの時、貴族の側に座った夫人は今日まで武士の情人であったが妻として娶りたい
との求めに応じて直ちに貴族は偽装夫人を教会に案内した。
"All thy desyre j shall fulfill."  (All your desire I shall fulfill.)
直ちに一人の牧師が連れて来られ、武士と夫人の結婚ミサを執り行ってしまったのである。
港(harbor)に積載を完了した船がいたので彼らはそこへ行き、貴族は所領の渚に静かに立った夫人の
手を取り武士と共に乗船させた。船は出航し沖へ過ぎ去った。
Ar版"As j fynde apon þe boke, (As I find apon the book,)
私が本の中で見出したところによれば武士は我が道を行き(the knight went his way,)
貴族は悲しい生涯を送った(he led a sorrow life.)という。
"All that you ax to fullefylle." (All that you ask to fulfill.)
『汝の求めることを実現せよ』
貴族は騎士への報酬を与えハンガリーの武士の望みを聞く主従関係を保ち続けていた。
自らが別れを告げたのは貴族だったが、事の成行きを己が妻に話すために帰宅の途につき
高い塔に登ったときは
"For sorowe he ne wyste what to done"  (For sorrow he not know what to do)
悲しみのために何がなされたのか知ることができなかった。
E版"To be ware to late he beganne," (To be caution to late he began,)
彼は泣き叫び出したが用心するには遅すぎた。
B版"To late wisdome he began," (To late wisdome he began)  
Ar版" Wise to be late he began (Wise to be late he began)
事の真相を知るには遅すぎた。

ある日夢を見たという詩行はローマ七賢物語の陳腐な筋書要素である。
He dreamed a dream upon a night. ある夜彼は夢を見た。
Such a dream dreamed she.     彼女もそのような夢をみた。
第14物語においては、その冒頭から貴族の懐疑心と悲しみの姿を描くまで
地下通路によって生じる時間のずれがあらすじの根幹をなしている。
この物語の最後は、
E版"Therefore hym scornyd meny a man." (Therefore him scorned many a man.)
B版"Therfor hym skorned many a man,"   (Therefore him scorned many a man,)
Ar版"Þeirfor mysseruyd is many a man." (Therefore mis served is many a man.)
それ故多くの人が彼を冷笑した。
と締めくくりMaxius師がローマ皇帝に忠告するシーンへ続く。

第14物語からそれてしまうがフランスにはアンボワーズ城とクロ・リュセ城を繋ぐ地下通路が現存
する。城主のフランソワ1世は、レオナル・ド・ダビンチをクルーの舘に1516から1519年(死亡年)
まで住まわせたという。ダビンチの部屋から階段を降りて地下通路で行くと戸外の道よりも早く
アンボワーズ城に着くのだろうか?

新訳ミッドランドバージョン、MIDLAND VERSIONと比較







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