Modern English metaphrase of THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)
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[参照] ミッドランドバージョン対訳の前に

G

1985年 卒論ローマ七賢物語(サウサーンバージョン)より

橋 泉



古英語 Old English (Anglo-Saxon) 語彙 mede に関して
同じ綴り字の異議語がすでに第二物語にあらわれていた。
In a mede was þis torney,
(In a meadow was this tornament , 草原でこの馬上槍試合が行われた。)
第四物語始まりのシーンに関連づけると mede は、 
『 praemunire, 教皇尊信罪、ローマ教皇を英国王以上にとうとぶ罪、糾問令状 
カレッジクラウン英和辞典 』  
ローマ皇帝ディオクレシャンと聖職者アンキシルス師との問答で、
後のキリスト教君主になるのは王子なのに皇帝がついキリストの名を言う場面は
時代背景的には改宗への道だった。

アンシラス師が王子に学問を教えさらに彼をだまして口がきけなくなったのだから今日復讐するのだ、
と言う皇帝にアンシラス師は、いかに凶悪に Ypocrasu:イポクラス師 が彼の甥を殺したか
について直ちに話すと述べ、王子は、行列を作る人々に押されて塔に連れて来られた。

次は警句的な二行連句
'For here bolt is soon ischote,
( For her bolt[arrow] is soon shot,  彼女はすぐに矢を射り[雷を落とし]=軽々しく憤り)
More to harm than to note.
( More than harm she used to.  さらに害をなすことが慣例であった。)

アンキシルス師の第四物語


 並ぶ者なき医師イポクラスは、甥の学問の技量を見て、もう教えまいとしたが、
甥はこっそりと師の技術を獲得し彼の分別を失わせた。ハンガリーの王子を治癒すれば
黄金を与えるとの使いに、イポクラスは甥を行かせ、若者は、苦しむ王子の腱と脈に触れ
尿器から国王の子ではなく、王妃が不正に生んだ子供と知り、誰の子であるかを王妃に尋ねた。
王妃は秘密が暴露し正当に殺されることを恐れたが、過去に高価な服装でこの国に来た
Earl of Nauerne (Navarre? )ナバラ王国の伯爵と同衾したことを話した。

甥が苦しむ子供を診る直前の一行は、
Now Crist of heuene be ous milde.
(Now Christ of heaven is us mild. その時、天のキリストは優しい)
これは登場人物の台詞以外のナレーションで中世の人々にキリスト教を普及させるような意図も
ありそうだ。
The youngman 医師である若者と夫人の対話のキーワードは、 beget である。
beget は、父親が子供をもうける、子孫を作ることで母親に用いない語である。
例文としては、
Abraham beget Isakc (アブラハムはイサクを生んだ)
They believed that Christ was born of a Virgin (キリストの処女降誕を信じた)

母親の場合は、bear であり
She bore him a son (彼女は彼の息子をもうけた)
第四物語では、常にbeget を用いて
And þus hit was on me biӡete;
(And thus it was on me beget; こうして生まれたのはこの子供だった)となっている。

次の文も beget 用例である。
What man had biӡete þis child?
(What man had beget this child?  どんな男がこの子供をもうけたのか?)

Who sschulde him biӡete but þe king?
(Who should him beget but the king?  国王以外の誰かが彼を生んだ?ありえません)

beget の用法は中世期以来現代まで変わらないのか定かではないが、
U.S.Aの辞書 『The New Webster Encyclopedic Dictionary of English language
の語義は、
To procreate as a father or sire (父親或は種馬や家畜の父獣が子を産む、子孫を作り出すこと)
それに古語 sire  君主、要人を当てはめると 第四物語にはうってつけの解釈が成り立つ。
つまり妃の子供の父親は、ハンガリー国王なのかナバラ王国の伯爵なのか。
それをイポクラスの甥が尿検査をして突き止めたということである。
しかしその結果を次のように否定詞 n を2度使う二重否定で書くのが中期英語の厄介な点である。
He ne seӡ nowt of þe king, but of þe quen.
(He not see not of the king , but of the queen.  or
He not see nothing of [anything of] the king, but of the queen. 
(王妃のもの以外に王のものは何もなし、誤直訳ではあるが)

以下はイポクラスの甥がが夫人に告げるシーン。
"Dame, he saide, þat is soht no þing.
Hit nas neuere of kinge stren,"
(Dame, he said , that is sickness no thing. 婦人よ、彼は言った、それは病気でも何でもない。)
(It was never of the progeny [the children ] of the king,  決して国王のお子ではありません。)

この物語に関連性はないが、The children of Abraham は、アブラハムの子、ユダヤ人 >

王妃は、"swich wordes ben, ( such words ,  そのような言葉は慎むように)と憤慨したが、
彼も ”swich tale, ( such tale,  そういうわけでありましょう)と 同じ単語 such で返答した。
以下原文略、(現代英語のみ)
彼は、(But tell me, dame, all the case,  私に話されよ、マダム、すべての真相を)
(How the child beget was,  どのようにしてその子供を授かったのかを)と告白を迫り、
王妃は、Belami ( Fair friend, 美しい愛人)と言いかけて少し躊躇したが、
(I will not never betray you.  私は決して貴方を裏切らない)と彼が誓ったので、
(That I earl I began to love , その伯爵を私は愛し始めた)
(All earthly things above, この世の何人にもまして)
など事の経緯を情熱的に語り彼は真実を知ることができた。
子供が生まれる語彙に O.E. beren, ( bear )を用いず すべて O.E. biӡeten, (beget) を用いた数ページは、
ローマ皇帝の王子側のアンシラス師の物語中で一層際立つ。
ローマ七賢物語冒頭部分の一行は、
(A child they had between them two, 二人の間に一人の子供がいた)である。

 私生児にまずい飲食物、
原文では、Contraius drink, contrarius mete,
Contrary drink, contary food [meet],  飲み物に反する、食べ物に反する、修辞的にcontrary を繰り返す)
Beues (Bears, 熊) の肉と 煮汁を食べさせると王子は全快して 
ハンガリー国王は、沢山の金銀宝石を医師に与えた。
To the leche, ( To the physician, 医者、医師に)
古英語: læche は、現代英語;leech, ヒル 『昔は医療上放血の手段として用いられた
カレッジクラウン英和辞典
』 『 他人の青血をしぼる人、吸血鬼、人口放血器研究社 新英和辞典 
イポクラスの甥は、国王が褒美を与える場面でやっと the physician 医師と書かれたわけだが、
そういう点は作者の工夫だろう。

帰宅後、イポクラスに治療薬を問われ、医師は、by saint Simon 聖シモンに誓って
"Bef and broþ gode and fine." (Beef and broth good and fine.)
大変けっこうな牛肉、と答えた。fine は、皮肉に反語的意味で、熊の肉も牛肉と言い表したらしい。
しかしイポクラスは、
"What þan was he an auetrol? (What then he was a bastard ?)
それで彼は私生児だった? もう一度聞くと、
彼は、
"Þou seist soht, sire, be mi pol." ( You say sickness, sir, by my pol.)
貴方は病気だと言う、サー、 私のpolに誓いてと答えた。
pol とは誰の名前なのか聖人の名前なのか分からないが、
王妃には、that is sickness no thing と言ったことからかんが見て
no thing は、会話の状況で消える言い回しであるようだ。
さらにイポクラスは、君は判断力によって
全く賢い従僕になったと褒めたのだった。
スト―リー展開的にナレーターが the youngman という語を用いたが、
イポクラスの台詞では、a groom: 下男を用いて次のシーンになる。

イポクラスは弟子を殺す大逆を考えた。
many an herb fine: 良い薬草が沢山成長する緑の庭園に彼を連れだったある日、
薬草を選び取るためにかがんだ甥をナイフで刺し殺し棺に入れ彼の書物を焼いた。
神はイポクラスに赤痢を与え、彼は見舞う隣人に空の大樽を持って来させ
口まで水を入れ千個所に穴を開けてそれぞれに栓をして周囲に油を塗り
すべての栓を抜いても水滴が出てこないのを示して、彼の赤痢の血止ができないのは
彼より賢い甥を殺したからなのだと詳述した。

"But mi neueu aliue ware,
Right is þat ich hennes fare."
(But my nephew alive were,  私の甥が生きていなければ、
(That's right I go hence.  その通り私は身罷ります。)
イポクラスの病苦を治し得るのは甥のほか一人もいないと言って死んだ。

 語り終えてアンシラス師は皇帝に、
" tak hede ,( take heed ,[care])  注意を払ってください。
イポクラスの甥を殺して彼の本を燃やした事が
"Miӡt hit him ani þing profite?"
(Might it profit him any thing? )イポクラスの何かのためになったのかと質問した。
皇帝の答えは、
"Nai, saide þemperour, moche ne lite"
(No, said the emperor , much no little.  いいえ、少しもためになりはしない。)
『 much: しばしば反語としてno の意をこめて用いる 研究社 新英和大事典
no little は、少なからず、 大いに の意味だが、much をつけて 全然 no と 言う具合に
この物語を聞いた後皇帝も反語を使ったのだった。
新訳ミッドランドバージョン、MIDLAND VERSIONと比較