Modern English metaphrase of THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)
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[参照] ミッドランドバージョン対訳の前に

I

1985年 卒論ローマ七賢物語(サウサーンバージョン)より

橋 泉


兄弟姉妹達は兄の傷を見せて、
Þai seide þay wepte for non oþer. (They said thy weeped for no other.)
彼らは他の如何なる理由で泣いたのではないと言った。
王の家来達は、負傷した男を見てその言葉を信じ帰路についてしまった。
才の鋭い青年の機知によってうまくやり過ごせたようだったが、
第五物語を聞き終わったローマ皇帝は、

"He miӡt han don a better ginne, (He might have done a better contrivance,)
Ibiried hit ower preueliche." (Buried it your secretly.)
彼はより良い計略をめぐらせていたかもしれないのに
密かに首を地に埋めるなり為そうと思えば。

皇妃が、皇帝の首も屋外便所の中に投げ込まれるのだと助言すると皇帝は、
"ӡis dame, hardiliche!" (Yes dame, bravely! )
はい マダム、 勇ましく! と答え二人は寝所に赴いた。
新訳ミッドランドバージョン、MIDLAND VERSIONと比較
第六物語始まり

 翌朝、自由民と身分ある少女達が王子の絞首刑を嘆く語は、woe ではない。
such a cry, そのような叫び
Þat hit schillede in to þe ski, (That it sound into the sky,)
空に響くほど泣いていた時、
Wail away, 悲しみよさようなら、why, 何故? 
その時、騎馬で子供の三番目の先生 Letillion : レンティリオン が来て
ich vnderstond ( I understand) 私は分かりましたと声をはり上げた。
皇帝は、"So god me spede " ( So god me speed) 神よ私を成功させ給えと言った。
現代英語句 God speed you ! 御成功を祈る に類似している。
 
現代英語でもやたらに神の名を叫ぶなと言うが如くGod の間投詞は数多い。
'God help a person,  かわいそうにもう人力ではどうにもならない。哀れなやつめ。
'So help me God! 誓って、確かに、
' God help him    神の彼を助け給わんことを、
'God helps those who help themselves.  神は自ら助ける者を助ける。(ことわざ)etc.
今後も中世韻文物語の例を15物語まで例を挙げてゆく。

師によって誤り導かれた王子が后妃を邪道に陥らせるところだったと主張する皇帝に
師は王子の死刑執行を停止するべく、陛下は金持ちの男とその妻の痴情事件の憂き目を見る
だろうと反論した。
すると皇帝は、
"O tell me、master, how any wimman (Oh tell me, master, how any women)
Miӡght bigile any man?"        ( Might beguile any man?")
「なるほど、師よ話して下され、どんな女が
どんな男を騙せるのか?」
と物語を聞きたがり王子は直ちに監獄に送り返された。 
この二行連句の脚韻 any women, any man の代名詞 any は任意性で何でも、誰でも、いつでも、どこでも、
皇帝の台詞は、普遍的、世俗的、警句的、寛容的、慣用句のような韻律によって
世の中で起こっているでき事と文芸の関係性を示唆している。

レンティリオン師の第六物語

 かつてローマにいた有名な長者は、近隣の娘を娶らず邪悪な年若い少女
"a dammaisele was ful of vices" (a damsel was full of vice) を家に連れて来た。
彼は彼女の優美さに目をとめ彼女を妻にするために彼女の父と契約をした。

He seghӡ hire fair and auenaunt, (He saw her fair and graceful,)
And wiӡ here fader made couenant (And with father made covenant)
For to habben hire to wiue       (For to have her to wife)
............................................................
ここの脚韻 auenaunt, couenant は、古フランス語借入語であり前述の皇帝の台詞の古英語 
man, women とは異なり、レンティリオン師は綴り字がいくらか難しい語彙を用いている。
中世の人がどう発音したのかは知る術もないが、現代英語的に t を発音したのかどうか、
フランス語的に無音の子音 t  は発音しなかったのか疑問である。
例えばボードレール、惡の華「悪運」の語彙  regret 仏ルグレ  英リグレット
                       secret 仏スクレ  英シークレット、 etc.
t を発音しないと日本語のしりとりなら「ん、ん」の脚韻だらけになってしまうのではないか?
いずれにせよ Seven Sages of Roma は視覚的な脚韻効果が顕著な作品である。

物語の展開は常套的に彼女の最初の愛人が彼女を追ってきたところからである。
以下はまず終わりまでサウサーンバージョンの日本語訳を載せる。

彼は、彼女の夫が睡眠中しばしば彼女を慰めて遊んだ。
そのころローマ都市に習慣があった。
それは主人であろうと従僕であろうと晩鐘が鳴った後で歩き回っているところを発見されたならば
獄吏はその者を捕えて固く縛り日の出まで留置し、それから彼を人々の前につきだして町中を
ひきまわすという慣習だった。
 自由民は妻が幾晩も彼の側から出て夜明けに戻って来るのに気づいた。彼はかなり長い間何も
言わなかったが常に彼女の策略を疑っていた。
ある夜、彼は酒に酔ったふりをして楽しく満足そうにベッドに入り一言も言わずに横たわると
すぐに寝てしまった。彼女は直ちに小部屋を去り愛人の許へ行った。彼女の夫は確実にそれを認めて
出かけ一人の牧師が彼女といかに正道を踏みはずしたのかを見た。彼は街道の外を秘密に彼の家へと
向かった。そしてドアを素早く閉じて窓から思い切って言った。
「デイム! 神はお前に思案を与える。今後もお前は捨てる必要はないであろう。この事実で私はお前を
捕まえた。私はもう引き留めはしないからお前はお前の好色家と共に行きなさい。
「貴郎、私を中へ入れてください。愛する人よ。晩鐘はまだ鳴らない。私は貴方の妻です。誰かが
間もなく晩鐘を鳴らすでしょう。」
「否、デイム、私はお前を見捨てる。お前が最悪なばかな真似をしたから捕えられるべきなのだ。
お前の一族皆に知らせ見せてもやる。お前がどういうタイプの女であったかを。」
「いいえ、全能の神、神が子を子が聖霊をつかわしたその子、私は気が狂い狂乱するでしょう。
でも貴方が中に入れてくれるならば私は話し、そうでなければ私は井戸の水の中に直ちに
飛び込みます。」
「身投げしようが首を吊ろうがここでお前は長きにわたり生きて来たのだ。」
 彼女は重い石を持ち上げて直ちに井戸に行き、或る女の奸計にならって言った。
「現時点で、貴方!私は身投げするんですから。」
彼女は井戸の中に石を落としドアの下へさささっと駆け出した。夫は叫び始めた。
「嗚呼、私を救うにはどうしたらよいのだろうか。」
そして井戸のあたりで彼の妻を探しものすごい大声で泣き出した。
井戸から非常に素早くスタートしていた妻はドアに駆け込み一寸の隙間なく戸をぴしゃりと閉めた。
その音で夫は頭を上にあげてから視線を向けた。
「私です。」彼女は言った。「いいわね。用心なさって。
もう時間ですよ、戸口の正面で。
かくも長く外に出かけていたのですね。」
「嗚呼、デイム。彼は言った。私は騙された。
私はお前が身投げしてしまったと思ったのだ。
私を家の中に入れておくれ、愛する人よ。
間もなく人々が晩鐘を鳴らすでしょう。
「悪魔が私を間一髪で縛り首にするのか。
私は夜警に真実をよーく見せてやるのだ。
お前には愛人がいてみだらな行いをしてから
晩鐘が鳴った後に帰宅していたことを。
お前は不安と回想に苦しみ、
この先『自分のした事の報いは自分に返る』 つまり自業自得という諺になるのだ。」
 この行の原文は、"And drinke þat þou hast ibrowe.(And drink that you have brewed)
現代文の you must drink as you have brewed に近似しているので
研究社の辞書brewの項目の例文訳をそのまま引用しました。

そう言った時に夜警の人達がやって来て
彼らは何故言い争っているのかを聞きつけたのであった。
暮鐘が鳴り出し捕えられたのは罪のない男だった。
かつて彼の悪事を耳にしたことはなかったが、
彼らはどういう事になってしまうかをよく承知していた。
"上記2行の原文で彼らの描写は三重否定連句である。
"and never of him no qued ne herde,
They wist ful wel hou hit ferde"
「決して彼の悪事を聞いたことがなくどのように進行したのかを知った。
こういう表現は後年の文学作品によく見られる劇的皮肉の反対
観客が承知していてなおかつ登場人物自ら察している状況といえないだろうか。
しかし現場はプロローグに記されている。各物語の重要性は作者の極限に達した残酷性
以外に求められる真実を備えている事である。その薄い光をたどって行きアラビア説話の
何たるかを知るのみなのだろうか。
我々が聖書とイエスキリストの存在を知るのはその時だ。卒論原稿より」

夜警らが彼の妻に懇願したのは彼女の愛想が良かったからである。
「彼を家に入れておやりなさい、さもないと鐘が鳴り止みます。」
彼女は悪意があるように答えた。
「彼は今女郎屋から戻って来たのです。
このように彼は私の感情を傷つける目にあわせたのです。
運悪く彼は処刑されるべきなんです!
私は彼の不純性行為をずっと隠していました。
今これ以上確かなことはありません。」
晩鐘はもはや鳴っていなかった。
その市民は逆に外に導かれたのだ。
長々と物語ったとして何の助けになるのか。
その夜家の主は井戸に座り通して寒さのためこわばった体が疼いた。
一方彼の妻は暖かなベッドに横たわり
彼女の愛人の慰めを掴んだのだった。
翌朝かの市民は陽光の下に引き出され
彼の随行者の前に膝を屈した。
そして町中を引き回されて連行されたのであった。
レンテリオンはくだらないおしゃべりをしてリャクのように
この不運に対して反対の声を上げた。