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原書 THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)

ローマ七賢物語 (ミッドランドバージョン) オックスフォード大学出版 2005

原文の解釈ノート

1866-67 
Thou couetes in alle manere (You covet in every way 貴方様は他人の物をあらゆる点で欲しがる。)
Thyn seuen clerkis forto here. (Your seven scholars to hear あなたの7人の学者の話を聞きたがる。)
D版は皇后に夫が賢人のストーリーをむやみに欲しがっているように描かせる 古フランス語バージョンA※に倣う。 この特別な傾向を与える観点は他の中英語版で失われ単に下記のように言うだけである。
A版: 1945-6
Þou leuest tales of losengrie (You believe tales of flattery 貴方は甘言の物語にのって信じる。)
Of falseness and of trecherie (Of falseness and of treachery ペテン師根性物語と裏切り行為の物語を)
この貪欲というmotif(モチーフ、主題、メインイディア、動機、...)は 次の第9物語: 黄金への愛によってローマ帝国を失った皇帝クラッススの物語への 適切な導入である。 そしてJohn Gower(ジョン・ガワー 1330-1408) は ローマの七賢物語の第9物語 Virgilius (副題 : バージル) を the confessio Amantis (『恋する男の告解』Book V )のセクションに適応した。

1869 As dyde Crassus the Emp[er]our(As died Crassus the Emperor 皇帝クラッススが死んだように。)
C & R版:皇帝 Cressent   (古フランス語バージョンA※及び中英語Yグループ原文においてC,R版を除き クレセントは一様に第5物語'Gaza'(treasure 財宝)の宝物を納めた塔の名前であるけれども E版は Oroysaunt)

王妃の第9物語

1875-2079    'Virgilius' (Virgil バージル)

F版は'Armiger’という題目のあるもう一つのオリジナル物語を 'Virgilius'の代わりに入れる。 その枠物語は要約すると次のようになる。

有名な騎士の従者の甥は盗みの罪で投獄され絞首刑による死を待つ。 従者が牢屋に入ることを申し出る。 そして甥は(釈放される。しかし罪を償い当然叔父を助けに戻ると思われていた。) 暴れ回り殺害と窃盗を働く。 処刑の日までに甥は帰らず従者は殺される。 甥は盗みを続ける。彼もまた絞首刑になるまで。

D版はバージルの前置きとなる題材を省略する。 その段落ではバージルの他の発明品が語られている。 (弓矢を持った像が守っていた永遠の火は結局 Lombard(ランゴバルド人:古代ゲルマン民族)の攻撃によって 全焼した。そして 町の反対側の門には(西門、東門、) 2人の男の全身像があり見物人たちは 一人はボールを投げ他はそれを捕らえると言った。) D版の省略はストーリーの筋や倫理的な教養に必須でないものを削除する傾向に 沿ったものである。Confessio(告白)で物語を再び語る時Gawerは同じ決断を下した。

1878 
Merlyn he hatte,and was a clerke, (Marlin he was named ,and was a scholar, 彼はマーリンと名づけられた学者だった。)
Merlyn: その他すべてのバージョンは"Virgil" なので この名前を物語の題名:バージルにしたというわけだ。 マーリンは (Spenser's Faerie Queene, III,ii,21 ) スペンサーのフェアリー・クイーンにおいて 魔法の鏡や地球儀も持っている。だから 批評家達は類比的作品としての"Virgilus"(ローマの七賢物語の)を挙げるが Virgi (バージル)という名の魔法に精通した学者のパートをD版では Marlin(マーリン)という名の学者が担当している原文の事実を指摘していない。

Virgilius の議論のために参照 Johnson,"Walter W.Skeat's Canterbury Tale" (学術論文、ウォルター・W・スキート の 「カンタベリー物語」 ジェームス・D・ジョンソン: 発行:アメリカ合衆国ペンシルベニア州立大学出版局)
Walter William Skeat (1835-1912)はイギリスの文献学者 1878年ケンブリッジ大学の古英語の教授) いくつかの可能な出典の1つ: 彼の模倣中英語作品 "The Deyers Tale" における ネクロマンサー、降霊術者、魔術者、としての バージルの描写。

1880-9
10行の和訳: 彼は魔術を駆使してローマで成功した。/ 高く聳え立つ柱/ どんな塔よりも高く/ その上に鏡がある/
1884: That schon ouer al the toun bynyght (That showed over all the tower by night その鏡は夜町中を映し出した。)
1885: As hyt were daylyght, (As it were daylight,あたかも昼間のように)
夜警達が見えるように/ もしこの町に来る者があれば/ 危害を加えるだれでも/ 都市は直ちに警告を発した。/
D版は古フランス語バージョンA※に従って タワーの上に鏡を置く。他の中英語版では鏡はVirgil (バージル)の 別の像の手に握られている。
1894-5
For the myrrour was so clere (For the mirror was so clear 鏡はピカピカに輝いていたので)
That kest lyght fer and nere. (That cast light far and near 遠くにも近くにも光を投射していた。)

D版は遠くのものが鏡に映っているのを見るのではなく 鏡の光(入射光、反射光?)を町に投射することによって正常に作動する デバイスを明記する点がユニークである。 D版の編集者はこうして町を守っていたアレクサンドリア(Alexanria)の灯台を 考えていたのかもしれない。 他のバージョンはどのように 機能するのかと厳密に書いてない。

"Chaucer'S Squire's Tale :(チョーサーの『大地主の物語』) において 騎士はカンブスカン王に娘カナシーに鏡を贈ったと語る。
Hath swich a myght that men may in it see (Has sucu a might that men may in it see   人がその中に見ることができるほどの力を持っている。)
Whan ther shal fallen any adversitee (When they shall fallen any adversity   彼らが逆境に陥った時)
Unto youre regne or to yourself also, (Unto your reign or to yourself aloo,  貴方の治世にあるいは貴方自身にも)
And openly who is your freed or foo (And openly who is your friend or hostile  そして公然と誰が貴方の友であるいは敵なのか。) (II 133-6)

チョーサーは七賢物語の影響を受けたかもしれないし 受けていないかもしれない。 (バージルの鏡のストーリーは庶民によく知られていた。) 鏡はマイスタータワーに運ばれ(I 226)そして 集まった大衆はローマにはこんなものがあったと言った。 (I 231)

1896-9
3行の和訳; 彼の国には二人の学者がいた。/ 鏡の力を落とすために(鏡を投げ捨てるために)/ ローマ市街を照明している./ 他のバージョンでは 王は国のすべての賢者を招集しその時に 2人の学者が志願した。 Ar,E,B,C,R版では その2人の学者が兄弟とは言っていない。

1900-1 
The kyng asked the clerk bathe, (The king asked the scholar both  王は学者両名に尋ねた。)
What he scholde gyf hem twae (What he should give them two. 彼等二人にいくら払えばよいのかと)
1924-5 
And maden lytyl pyttys twaye, (And made little pits two, そして小さな穴を二つ作った。 )
And byrid the coffyns bathe (And buried the chests both, その収納箱を二つとも埋めた。)

上記二つの対句において写字生は より見聞き覚えのある北部方言 bathe と写字したが 脚音が揃うのは 非常に珍しい同韻語 beie (beie - twae, beie - twaye) である。 これは原語の方言がミッドランドであることを示唆している。 (議論の詳細はイントロダクションのD版のダイアレクトのセクションを参照。)

1916  The kynge hadde [thaym] redy dyght, (The king had them readily prepared, or put in order,  王は直ちに用意を整えさせた。 )
写本のE(Emperourを短縮した語の綴りとして他の箇所でも用いられた)は明らかな誤り。 Wright博士の E→em 修正はD版による他の箇所では文証されていない。 だからDr.Jill Whitelock は thaym と修正した。 D写字生はこの目的代名詞の語形を好んでいた。

1920-8
9行の和訳: 朝彼らはミサを拝聴し/ その後で彼らは一緒に遊びに出かけた。/ 彼等は原っぱに入った。/ それからあたりを見渡して誰もいないことを確かめて/ そして二つの小さな穴を作った。/ 宝石で満たした櫃を二つとも埋めた。/ その場所を示す分かりやすい目印を据え付けた。/ 収納箱のあった所/ そして石のように音を立てずに出て行った。/

他のバージョンは 翌日まで待つのではなく彼らが到着した日の夜に箱を隠す。 そしてD版だけが野っぱらに埋められる。 古フランス語バージョンAにおいて 箱は各シティーゲートに一つずつ隠される。 他の中英語原文では 一箱は東門のボールを掴む像の下にそして別の箱は西門に隠される。 どうもD版は次のようにしてから去った。
すなわち 1296: And setten redy markys there (And set easy or convenient markers indicating the location そしてその埋めた場所を示す簡単な(便利な)目印を設置する。
箱は野原に埋められて特定のlandmark (陸標、道しるべ、)の下ではないから 財宝が隠された地点を示すために。

1298  as stille a ston
エリジョンの例: as silently as ton (as ston) (石のように静かに)

1292  A comen to the Emperour anon, (They came to the Emperor at once, 彼らは直ぐに皇帝の下に来た。)
他のバージョンで学者達は翌朝馳せ参じた。 Dr.Jillは、Aを強勢を受けない人称代名詞(ここではthey)として 注釈した。(Note;663参照) またAは代わりに弱形のandとして読むこともでき D版に散見する(Note:1205参照)

1933  And yf thou wylt hyt schal be kyde, (And if you will it shall be revealed, もし貴方が望むなら(文脈からは陛下が探せば)明らかになる。)
他の原文では学者達は宝(埋めた二つの箱一杯の)の半分を約束させる。

1934  For a sweuen vs come tonyght (For a dream us come tonight  今夜私共はお告げの夢を見ることになる。)
ここでは未来形が意図されている。 C, R版では夜見る夢を通じて財宝の場所を見つけると学者が皇帝に主張することへの言及は すべて省く。

1937  And I wole do we[r]for of myn: (And I will pay them out of my own money  私は彼等に自分のお金で払う。
we[r]for について Wright ライト博士 版→ wefor
筆写の単語分割 we for は保存されていない。
MED(中英語辞書)の定義:  don wherfore : 恩寵やサービスの料金を支払う。
この定義から 皇帝は学者に言った。 もし彼らが秘宝を回収したら彼は自分の金で彼等に報酬を支払う。

語末の myn(my) について 所有代名詞が単独で韻を踏む別の例 thyne (your)
2859 (注付きも後述参照)
Forto helpe the[r]for of thyne (To help therefor of your war? そのために貴方の戦争を助ける(支援)するために

OED(古英語辞書)には'wherefore'(なにゆえに)に対して 語中にr のない形はないのでWright版1937行 wefor を we[r]for に修正した。
D版2859行の'therefore"(それゆえに)も r が語の中間にない一例である。 同様の文脈で同様に写字生によって単語が the for(you for )として分割されたどちらの例も写字生が この構造(構文)に習熟していなかったことを示唆する。
MED(中英語辞書)は þefor を誤って発生した語形として載せる。

1940-57
他の中英語バージョンは第一の宝箱発見の場面の詩を圧縮する。
以下18行の和訳: 太陽が昇り明るい朝/ 彼等は皇帝の所に直行して/ 言った「自信を持って、皇帝陛下/ 我らは財宝の在りかを発見しました。/ それで陛下、一人の男を我々と一緒にお連れ願いたい。/ 賢くまたできる男を/ ほんの少しの間我々の近くに立たせて/ 宝が発見された時それを安全に保管するために。」/ 皇帝は直ちに一人の男を送った。/ そうして彼ら自身の出発準備をした。/ そしてしばらくして地面を掘った。/ そして財宝を入れた櫃が瞬く間に見つかり/ 彼等は取り急ぎ皇帝の下に行き/ 彼にその金銀宝石類を見せた。/ 皇帝は十分満足していた。/ 丸で福音書と同じように本当なのだと信じてしまった。/ 学者達が彼に知らせたことを。 そして全部何から何まで嘘だった。/

1944  Therfore, sire, tak with ous a man (Therefore, sir, take with us a man ですから 陛下、一人の男をお連れ下さい。)
他のバージョンでは皇帝とその家来達が同行する。 一人の男(D版)ではない。

1957  And al was fals, euery smyte. (And all was false, every part. そしてすべては偽りだった、全部。
OED(古英語辞書 smyte は 名詞 smit(blow or stroke :強打、 打つこと, )に関連しているようだと提示する。 動詞は smit(to strike)
それでもともとは小さな断片をたたき(切り)落とすを意味した。 比較的珍しく MED(中英語辞書)はthe Seven Sages (ローマの七賢物語) に加えて二つの原文からしか引用していない。

1958-75  次の場面は別バージョンにはなく 二つ目の宝箱の発見へと寄り道を削除する。