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原書 THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)

ローマ七賢物語 (ミッドランドバージョン) オックスフォード大学出版 2005

原文の解釈ノート

1685
My lordys merryghe hys welne gone, (My husband's vital energy hys welne gone. 夫の生命エネルギーは使いすぎでほとんどなくなった。 merryghe は文字通りには "morrow" (朝、翌日、事件などの直後、未来...) という意味だが生命力を表す比喩的な表現で用いられた。 この意味がsexual energy : 性的エネルギー, 男性の生殖能力にまで拡張、転義されたと思われる。

1694-1695
The douter took hire leue anoon, (The daughter took her leave at once, 娘は直ちに立ち去った。)
And dyde hyre hastylych to gon, (And behave her speedily to walk, そして彼女は正気付いて急速に歩く。)
4行連からなる一節の第3行目 1696
And thout hyr lorde forto proue (And thought her husband to test  そして彼女の夫を試すとどうなるかと考えた)
[問題の行......proue と韻を踏む行が欠けている。 (写本には脱文なしだが。)...........]
D版は娘が彼女自身で画策しているが 他の版では母親がゆかいな計画を考え出す。 D版は他の版と異なるが手がかりはない。 どうやら1行だけ足りないようだ。 その後2回娘が母親と別れる時彼女の帰路を覆う 4行の連句が使われている。
1782-5
And at hir moder leue he nam, (And at her mother leave she took, そして母のもとを去った。)
Toward hyr oune house ho cam, (Toward her own house she came,  彼女は自分の家へ向かった。)
And by the way as scho ӡede,  (And by the way as she went,  そして行くその道すがらも、)
Scho thout oppon a schreud dede, (She thought on a wicked deed,  彼女は故意の行動方針について考えた。)

1701  So nobil pers as hyt bare; (So choice pears as it yielded; 同じようにより選った西洋ナシが実った。)
D版は古フランス語バージョンA※を模倣する。 その他の中英語版では果実がなる木を西洋ナシと特定しない。

1704  On of hyr men with hyr he nam, (One of her men with her she took,  彼女は彼女の従僕のうちの一人を連れて行った。 )
F版は異なる。妻は古フランス語バージョンの彼女のように 僕が拒むので彼女自身で木を切り倒す。 Yグループ原文において庭師は不本意であるにもかかわらず 木が倒れた。 (我々は従僕が木を切ったのかそれとも妻が自分で切ったのかその詩行からは知る由もない。)

1707-8
And in the halle let hit lygge (And in the hall let it located そして玄関広間にそれを配置した。)
To loke what he would say. (To look what he would say. 『彼は何を言うか見てみよう。 DeepL機械翻訳)
唯一D版が夫人に木の残骸を広間に置かせる。 それは帰宅した夫に見せるためである。 古フランス語バージョンにおいては夫が家に到着した時下男が木を運んでいた。 Yグループ(F版以外)では夫は彼の果樹園へ行きどうしたのか見る。 F版で妻は木を火の中に入れる。

1714  Hyt grewe, nowthir fer no ner, (It grew, no neither farther nor nearer, それ以上伸張しなかった。遠くにも近くにも。)
その他の中英語バージョン原文において 妻は冷たい彼の身体を温めるために木を伐り取って火を焚くと 付け加える。

1719  He ne sayed nouӡt al that he thout: (He did't say all that he thought: 『彼は思ったことをすべて口にしたわけではない。DeepL機械翻訳)
[......1行欠損(写本に脱行はないが。)...]  または2行が1719行の1行に圧縮されている。 従って nouӡt/thout の内韻は下記を暗示させる。
1732-3
Thow he were stille and spake nouӡt, (Though he was silent and speak not, たとえ『彼は黙して語らず。 DeepL機械翻訳』でも)
Thow wost neuer what [was] hys thout. (You never know what was his thought. 彼が何を考えていたのかあなたの関知するところではない。

1722-7
6行の和訳: そして言った、「ママそうすれば成功すると、/ 私はあなたが命じた通りにした。/ 御覧の若木。/ その枝はとても幅広くとても高く伸び放題だったの。/ 私はそれを根こぎ切り刻ませた。/それにもかかわらずそのために 彼は怒りもしなかった。」
娘が母親にこのように経緯を報告するのはD版だけである。 古フランス語バージョンA※は幾分似ているが 母娘の一連の短い問答のやり取りの中で情報が提示されている。

1729   I walde red the, as I mot go (I would advice you, as I may live   私は貴女にアドバイスします、生きている限り)
"as I may live" (生きている限り), "so may I live" (だから私は生きている), "upon my life" (我が人生に), を意味するありふれた言い回し as so mot I the の これら変異形 "as I mot go" ”so mot I go"を MED(中英語辞書)や OED(古英語辞書)はどちらも引用していない。

1734  ӡyt [he] sewyd hyr modyr wylle, (Still she acceded her mother's will, それでもまだ彼女は母の意志に従った。)
Wright博士はこの行でscho を補った。しかしJill Whitelock博士は北部の 写字生が書いた唯我独尊の語形schoよりもむしろheの方がよいので [he]を補った。 この写字生は1721: And to the modir sone he cam, (And to the mother soon she came, そしてすぐに母親のもとにやって来た。)/ 1739: A gret schrewnes he dude. (A great wicked deed she did. 彼女は悪逆無動の振り舞いをした。)/ 問題になっている上記の詩行両面においては彼独自のschoでなくheをそのままにした。 この物語の他の箇所にあたると写字生はscho を用いていたけれども。

1740  The lord a lytyl kenet hadde, (The husband a little small hunting dog had, 夫は小さくてかわいい狩猟犬を飼っていた。)
MEDの定義: 小さな猟犬, スモールハウンド、 犬、雑種犬、
古フランス語バージョンA※:雌犬の名前は"lissete" リーゼット。  中期英語A, C, R版においてその動物は一匹の雌犬である。
C版:1972  A gre biche þat he lufes wele. (A grey bitch (a female dog) he loves well. 『灰色の牝犬一頭を有つていて、それを非常に愛しています。金子健二博士訳』)
他の中英語原文:a greyhound (グレーハウンド、体高のある脚の速い猟犬)
D版よりも他のバージョンの方がこの犬の挿話の描写がより一層細かい。 例えば妻が着ていた服の種類に言及している。

1750-2
3行の和訳:彼は聖リチャードによって言った。/ あなたは貴女の服の裾を近くに引き寄せて/ 私の猟犬を生かしておいてほしい。/ 夫側の理性的な推論はD版唯一である。

1756-7
Scho thout tho, "[He] that wil sp[e]re, (She thought then, "He that will excuse, 彼女はその時思った。「彼は許すだろう。) To haue a lemman for hys f[e]re. (To have a lover for his spouse.  彼の配偶者に恋人がいることを)
原文はこの箇所でWright博士によって変造された。以下は 19世紀のライト博士の写本
Thay that wil spare弁解するのは彼等)/ To haue a lemman for hys fare; (彼の配偶者にパートナーがいることを)
下記はJill博士の定義である。
ライト版の1756行のthey の原文の読み方は、1757行のhys(his) と人称が一致しない。 (they, their, he his)
そしてfareは原オリジナルにおいてfereだったに相違ない。 この詩の他の箇所でも同韻語としてfereが発生している。 例 463 dere/fere: 1425 here/fere:
fere はspere と韻を踏む。しかしspere は南西ミッドランドの語形ではspareである。 南西ミッドランド方言の語形は後の写字生には不案内だったのかも知れない。 そしてそれが写本の"corruption"(改悪、変造)になったのだろうか。 同様にtheyは3人称複数形でありまたtheyという形で翻訳することに慣れていた ある写字生がある時点でhethey に書き換えた。
それらを修正した形でこの行は理解されるだろう。
"He will excuse that .[namely すなわち] to have a lover for his spouse" (日本語訳は上記参照)
原文hys fere は『妻が自分のことを指すときの言い方である。DeepL機械翻訳

1760-7 
8行の和訳: 「神よ我を守り給え。」 と彼女は言った。/ 私はあなたに命じられた通りにした。/ 私の夫は小型の獰猛な猟犬を飼っていた。/ それを彼はとても愛していた。/ だから神は私に幸運を与えた。/ 私はその雌犬、or雄犬 を私の折りスカート(広がりスカート)の上で 殺した。/ すると彼の(彼女の)心臓の血が止まらず流れた。/ 然も彼は良い言葉しか言わなかった。/
再びただ単にD版が 娘にそのような報告をさせている。

1785  Scho thout oppon a schreud dede. (She thought a wicked deed. 彼女は悪事を働こう思った。)

F版には妻が夫の鷹に掻き傷をつけられたと言って 鷹を殺す(首の骨を十分二つに折って)追加のエピソードが含まれている。

1789  And made a fayre maungerye. (And made a fair banquet. そして饗宴を開いた。)
F版: Sey ӡou wylt haue a mangerye. (Say you will have a feast. あなたは宴会(酒宴)のもてなしを受けよ(致せ)と言う。)
他の中英語版は代わりに"feast"を使う。 F版においてディナーのゲストは両一族である。

1796   And schent robys of riche grene, (And destroyed robes of rich green, そして高価なグリーンローブを台無しにした。 )
ゲストの濃厚なローブへの言及そしてその後 衣服の汚れをぬぐってきれいにしたという細部はD特有の行である。
1800: And made hare clothes be wypit and dyӡt, (And made their clothes be wiped and put in order, そして彼等の衣服を拭き整えさせた。)

1801  And solace thaym as wel as he myght. (And cleaned (clothes) as well as he might. そして彼は出来る限りのことをして衣服を清潔にした。)
MED(中英語辞書)は"solace" に"cleaned" (きれいにした、汚れを落とした、清潔にした、掃除した... )という推測的な意味がありそうな定義を与えて D版からこの1801行のsolace用例を引き合いに出す。 (参照現代英語の'solace' は 悲しみ、孤独、不快などの慰め、憩い1801行は中英語においてsolaceのcleaned という意味での唯一の用法である。 しかしその"solace"が靴をクリーン、きれいにすることを意味する例も示されている。
F版の原文はこの時点で f.141 紛失のため終わっている。

1802  When alle hys gestys were agoo, (When all his guests were gone,  ゲストがすべて出て行った時、
他のバージョンにおいては夫が妻に詰め寄るのは翌朝で ゲストの出発の後ではない。

1813  He and hys brothyr. (He and his brother, 彼と弟(兄))
他の中期英語版において夫は兄(弟)ではなく'a barber-surgeon' 床屋ー外科医に助けられる。古フランス語バージョンA※で彼は一人だ。 この場面はD版よりも他のバージョンの方が言い尽くされて一層ホラーの原因を 引き起こす。 Yグループ原文で夫はそれぞれの邪悪な行為につき一皿ずつ3皿の血を採取する。 中世医学の瀉血について 参照 "Siraisi" 『中世初期ルネサンス医学』pp137-41

1819  He layed hyre in a fayre bede. (He laid her in a fair bede. 彼は彼女を汚れのない寝台に寝かせた。)
他のバージョンで妻は母を呼びどうした事が起こったのかを 話す。彼女は恋人を見つけない(作らない)と決心する。

1820-31 
これらの締めくくりの詳細はD版ならではのものである。
12詩行の和訳
彼女が意識を取り戻した時、/ 彼は直ぐに食べ物と飲み物を与えた。/ そしてマダム「じっと寝ていなさい。」と言った。/ 「あなたは自由に飲食するように。/ そして貴女が血迷う度に/ 貴女は瀉血しなければならない。」/ サー、彼女は言った。「慈悲を垂れ給う神ならば/ そして私はもうあなたを怒らない。」/ 「私の信義によって」と彼はその時言った。/ 「ただし貴女はもうそこまでするなかれ。/ 私が生きている間にそのような悪行を。」/

1824-25
And euer when thou waxist wode, (And on every occasion when you become mad, 貴女が頭に来た時はその度ごとに)/  Thou schalt be latyn blood. (I will be let you blood. 私はお前の体内から血液を採るだろう)/ 古フランスバージョンA※には もし彼女が再び悪さをしたら同じ荒療治をするという夫の脅かしに類似する散文はない。 しかしそんな事が発生した場合には血液の皿の数は倍になると約束する。

1826    "Sire," scho sayed,"mercy, I ask ӡore, ("Sir," she said, "I beg for mercy or pardon," サーと呼び掛けて彼女は言った。「慈悲を請います or お許し下さい。」) D版の使用法 I ask ӡoreをyareのもとに 中英語辞書(MED)で参照すると eagerly,熱心に :earnely 真剣にとして語句注解する。 この行の前後関係から Jill博士はこのフレーズを"I beg for mercy, or pardon"と 用語解した。