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原書 THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)

ローマ七賢物語 (ミッドランドバージョン) オックスフォード大学出版 2005

原文の解釈ノート

1958-1975 18行の和訳
夕方に近づいた時/ 二人の学者達は立ち去り/ 再び彼らの宿屋(inn)に向かった。/ 彼等は一晩宿に泊まった。/ 彼等は大喜びしてベッドに入った。 彼等は成功を望んだから。/ 翌日夜が明けた時/ ベッドの中で長い時間考えていた。/ 皇帝の下へ彼らは焦って急いだ。/ 彼の目をもっとくらますために。/ 学者の一人が直ちに言った。/ 信念を貫いて、サー、私たちは行かなくちゃなりません。/ 財宝を発見しました。/ 今晩私たちは夢を見たのです。/ 宝探しの間そこで待っている一人の男をよこして下さい。/ 昨日私たちと一緒に行ったような。/ それを聞き皇帝はすぐに一人の男を引き渡した。/ そして埋蔵地点へと彼らは急速に向かって行った。/

1974  Ham tolywryd a man anon, (Them delivered a man at once, 皇帝は彼等に直ぐ一人の男を引き渡した。)
皇帝の主語代名詞 [He] の非表現の例 (補うと[He] ham

1989  And al was lorne at the laste. (And all was lost at the last. そして最後にすべてを失った。)
他のバージョンではこの時点で 学者達はさらに宝石や金銀が詰まっているもう一つの櫃を皇帝に一晩 家に帰る前に約束する。 (A版で彼らはそれが鏡の下にあると付け加える。)

1995  Til on morwen the day bryght. (Till on the morrow (next day) it was growing lighter. 翌日明るくなるまで)
the day bryght 際立った動詞で意味は "grew light" 明るくなる、"dawned" 夜が明ける。 MED(中期英語辞書)で引いたのは This is the day の頻出のみ。

1996-7  On the morwen tho the day aprong (On the morning when the day dawned   明けた夜が朝になっても)
Thaym thought in hare bed ful longe  (Them thought in their bed full long 彼等はベッドの上で長い間考えていた。
1997行 は 非人称的表現であり 書き直すと'it seems a very long time to them'  (彼らにとってそれはとても長い時間のようだ。) どちらの行も理にかなっているから決定することは不可能であり エラーが含まれているとしても Dr.JIll Whitelockは原文を修正せずそのままにした。

2002  Ther hys a goldehord bygune, (There is a hoard of gold existence 金塊の蓄えが現存する。)
D版によるこの古英語単語'goldehord'の用法は OED(古英語辞書)が引用した最新のものである。 Gowerガワーは『恋する男の告白』第5巻(1377-1381) ll.2118, 2128"Virgilius" バージルの書き直し で用いた。 ガワーがこの言葉を七賢物語から借用した可能性はある。 彼はgoldehordを一度だけ使ったことがあるからには。 (Danham , Seven DSages pt.I p.17)

2008  "Sire," quod that on clerke, (Sir, said that on scholor,  彼等のうちの一人の学者が言った。)
他の中英語バージョンにおいて 学者達はヴァージルが発明した鏡の下に彼の埋蔵金があると言って 皇帝を誘惑する。

2016  The clerkys toke mynours anoon: (The scholors took miners at once:  学者達はすぐに炭鉱or鉱山労働者を連れて行った。)
古フランス語バージョンA※において皇帝は最初の財宝を 回収するのを手伝うために坑夫達を連れていった。

Il amena mineeurs (mineurs), si conmencierent (commencer ?) à miner,là où li devinierres dist (20.014)

この時点(D版上記詩行に対応する段)で古フランス語バージョンA※と(中英語バージョンA,Ar,B版)は 学者達だけで鏡に行く。 C版とR版では、miners(鉱山、炭坑労働者)という語彙ではなく those men (〜する人々) を用いて
C版2296: Þan take þai men and mani toles (Then take those men and many tools.  『そこで彼等は人々を引き連れ、多くの道具を用意致しました。 金子健二博士訳』)

2019-21 
Than thay seyen at the laste (When they spoke at the last 彼等が最後に話した時)
How the piler stode in bras, (How the pillar studed in brass, どのように柱に真鍮の鋲を打ち )
And with sowdyng sowdyt faste, (And with soldering soldered hard, そして半田付けの技術で堅固に半田を盛ったのか )
他のバージョンは柱の基礎を破壊してしまうという問題を強調していない。 この3行は学者達が鏡を倒すために使用する続いて起こる挿話の意味を理解する。
2040-1
The fyere was hote and bernyd faste, (The fire was hot and burned much or hard 火は熱く勢いよく燃えた)
And malt the soudyng at the last. (And melted the soldering at last. そして遂に半田合金を溶解させた。)

2024-41
17行の和訳:
鉱山労働者達の姿が見えなくなると/ 学者達は直ちに火を焚きつけた。/ 円柱(角柱)の全周に/ するとその火は柱の外側をぐるりと取り囲んだ。/ こうして彼らが火の不始末をしでかしたその時/ 彼らが家(宿)に帰ったのは昼時だった。/ その前に彼等は皇帝の面前に行き/ それから直ちに皇帝の下を去った。/ 宿屋に入るためのアクセス(接近方法)/ 彼等は手はずを整えて仕掛けを考案するために。/ 柱を直立させたまま/ そして眩いばかりの鏡を(大破壊する)/ 皇帝は彼等に御前を下がる許可を与えた。/ 彼等(二人の学者)もう留まることはない。/ 彼等の宿屋へ着くとすぐに/ それから彼らのhostel(宿舎)を後にした。/

D版は相当違っている。
Yグループにおいて 二人の学者は彼等と共にそこにいた皇帝に彼は(皇帝)は明日宝を手に入れるだろうと告げる。 それから宿に戻り別の工夫を凝らす。 すなわち鏡に火をつけて土台を燃やす装置の考案である。 そうして鏡の燃焼を遠くから見ながら彼らは都市(city)を後にする。 古フランス語バージョンではエピソードはもっと短い。 D版原文は改悪したか単に無意味だと思われる。 学者達が柱の基礎に放火しその後で 宿に帰る前に皇帝に会うために彼の所に戻るという事はありそうにない。 Dの校訂者はこの早い時点で火事を導入したようだがにもかかわらず 他のバージョンにおける一連の出来事を物語の論理を無視しているにも関わらず さらにコピーすることに向かう。

2042-3
Thay were bot a lytil withouten toun (They were a little way on a short distance  彼等は町から少し離れた所にいた。 )
That the pyler fel adoun. (That the pillar fell down, タウンの外で柱が倒れるのが見えた。)
D版は古フランス語バージョンA※に倣い学者達がタウンを 出て行ったばかりの時に鏡が倒壊する。
Il n'orent mie grantment alé quant le mireoir et que les pilers de marbre precoierent par mi(29.029) ? ・・・・鏡といくつもの大理石の柱が・・・?の間・

他の中英語バージョンにおいて 学者達は鏡が倒れ落ちるのを見届けると町を逃げ去った。

2064-9 
Thay token gold, a grete bal, (They took gold, a great funeral pile, 彼等は金を採り巨大なる火葬用の薪の山を築いた。 )
And letten grynde hyt ryght smal, (And let grind it right small, それを小さくすりつぶして金の地金にする。
And puttyn out hys eyen two, (And put out his eye sockets full both, そして彼の眼球を両目とも全部剔出した。)
Yグループにおいて Crassus:クラッスス皇帝は拘束される。(A版はテーブルに縛られる。) D版は地金に特化しているのが唯一である。 他のバージョンでは溶かした金、(C版、R版は銀も) が用いられる。 異なるバージョンでは様々な顔の開口部一杯に注ぎこまれる。

2091  Doe thy childe to deth anoon, (Put your child to death at once,貴方の子供を直ちに処刑せよ。 )
[.......1〜数行を欠く....写本に欠文なしだが......]
まず確実に現存写本のこの行は定型句の一部を構成した。 それは子供が死に導かれる場面で随所に見い出された対句に相似して その脚韻は類似音を配列している。
例えば
1290-1
The tormentours wer ful rade (The torturers were full ready 拷問者達は準備万端だった。)
To do tha the Emperour bade: (To do that the Emperor bade; 皇帝がそう命じた。)

2441-2
As the childe was forthladde, (As the child was led out,その子供が連れ出されると)
Ryght als God Almyghty bade, (Right as Almighty God supplicated  都合よく神頼みした全能の神のように)
2748-9
Toward the deth he was lade; (Toward the death he was led; 死に向かって彼は導かれた)
Than was the Emperes glade. (Then was the Empress was glad. 皇后が喜んだのはその時だった。)

2097-8
  The childe lette hys [eyen] glyede (The child let his eyes glance その子供は彼の目をちらりと向けた。) Oppon hys maystyr al asyde. (At(or Fall on) his master every side   (or all around) 彼の師匠を見回した。 )

Wright博士も[eyen]を補った。 このglyedeの用い方はMED(中英語辞書)が '? of the eyes : to fall upon (名詞)glace at' (目に飛び込んでくる、ちらっと見る、視線を送る、)の定義の下で引証した 唯一の例である。

2119-22
3行の和訳:
同じように貴方にも災難が降りかかるに違いない。。/ 特権を持つ都会の者が家の広間で起こしたような/ 彼の飼っていた鳥を殺してしまったのだ。/

D版(F版も)は第10物語始まりの場面で 他のバージョンよりもう少し物語 の結末まで明かしている。F版はD版にかなり近い。
F版 1476-9 4行の和訳:
もしもそうするならばそれは貴方にとって必然的運命である。/ ある一人の都会の者がしたように/ 気が高ぶり早まって/ 彼の妻のたわごとの為に彼は彼のカササギ(鸚鵡)を絞め殺すことになる。

カトンの第10物語

2141-256    Avis ('The Bird' 鳥)

中世文学には告げ口鳥のストーリーの多くのバージョンがある。 中英語においての類似作品: Gower :Confessio Amantis ガワー『恋する男の告白』Book II の挿話  'Phebus and Cornide' 『フェブスとコー二ド』
Chaucer;'Manciple's Tale チョーサー『マンシプルの物語』カンタベリー物語の一部
ガワーはOvidian バージョンのストーリーにかなり近い (Metamorphoses 変身物語 BookiII 531-632)
恐らくチョーサーは七賢物語のバージョンも知っていたのだろう。 (Jill 博士の論文;Denham 参照) 七賢物語それもチョーサーとミッドランドバージョン間の密接な関係をなぞる。

2143  And hadde a popyniay at spake, (And had a parrot that speak, そして喋る鸚鵡を飼っていた。 )
他のバージョンではカササギである。 「シンディバード物語」においても鸚鵡であるが これは幸運な偶然の一致としか言いようがない。 (ヘブライ語、ペルシャ語、古スペイン語、シリア語、etc. 参照:選択書誌〜III.シンディバード物語の項目) 他のバージョン(E版、F版を除く) においてはカササギは フランス語或いはロマンス語で話したことを中英語でわれわれに伝える。

2146   Anothyr lotby scho nam, (Another lover or paramour she took, 別の恋人を作った。)

F版において妻が他の恋人を求めるのは夫のためであった。
F版 1506-7 
Yn bedd lay full stylle, (In bed lay full still, ベッドにじっと寝ていた。
{Sch]e þӡt he dud not all hur wylle (She thought he did not all her will  『彼女は彼が彼女の意志をすべて受け入れたわけではないと思った。DeepL 機械翻訳
ピーターと呼ばれる神父が彼女に求愛するが 彼女は人の道を踏み外した情事の初めの一歩を恐れている。 彼女は鳥に見られて夫に告げ口されるとわかっているからだ。

2153   Whent the goodman was went, (When the goodman was depart, 家長が出かけた時、)
Whent the は初期の省略形 whente の名残りかもしれない。 そして写字生によって容認された。 にもかかわらず定冠詞も補ったのである。

2154   Than was the lemman after sent: (Then was the lover sent after; そこで恋人を来させることになった。 )  下記Chaucer チョーサー との比較のためのJW論文 pt2(Denham "Seven Sages" )参照
And so bifel, whan Phebus was absent, (And so commit, when Phebus was absent, フェバスが不在の時もそうして過ちを犯した)/  His wyf anon hath for hir lemman sent (彼の妻はすぐさま恋人を送り込んだ) /   (The Manciple's Tale: マンシプルの物語 II 203-4)  チョーサーの恋人は少なくともマンシプル自身によって論評を呼んだ。 ( 参照:II  205-37: Norman Blake 中世文学の英語, London 1979, J.D.Burnley, "Piched Terms" English Studies 3(1984) 195-204, pp.202-4 )

七賢物語F版を除く他の版で情人はカササギを怖がって亭主不在の家に入れない。