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原書 THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)

ローマ七賢物語 (ミッドランドバージョン) オックスフォード大学出版 2005

原文の解釈ノート

2157 The wyf [sc]h[o] thout oppon a wylle (The wife she thought on a while  妻、彼女はしばらく考えた。)
[sc]h[o] について Jill博士はWright博士に従いここで h を scho に改めたけれども 別の修正はthen その時をたびたび意味する tho とすることもできる。(The wife tho(then) thought on a while)

2161  Scho hadde a knaue al at hyr wile, (She had a male servant all at her will   彼女は男(少年)の使用人一名を随時雇用していた。)
古フランス語バージョンAは "a chamberiere (32.016): chamber-woman : 待女、小間使い、お部屋係の女、、一名 / A, Ar, E, B版は "a maid" メイド 一名/ C, R, F版は 恋人が自分でトリック装置を仕掛ける。

2163-82
20行の和訳: 彼女は梯子を高く掛けさせた。/ そして彼は梯子を上って行った。/ 彼は水差しに水を汲んできた。/ 屋根の上に彼はそれを置いた。/ 屋根に穴を開けた。/ 彼はうまく生きた石炭を運び上げた。/ そしてトーチ(松明)もそれと共に。/ してまた妻が何をすべきか命じた通りに。/ 彼らが一緒にベッドにいた時/ 妻と不倫相手/ 下僕はすべての物を用意しておいてやったのだ。/ 彼は中を覗き込み照明を見た。/ それからすぐに彼のトリックを始めた。/ そして鳥籠に水をかける。/ 彼が2、3回水を注いでから/ 彼は別のトリックを使った。/ 大きく膨らんだ数袋を突き刺して穴を開けた。/ そうして彼は大破裂音を響かせた。/ 彼は真っ赤な石炭1つで松明に火をつけた。/ そしてそれを穴に入れた。/

鳥をだますための仕掛けはバージョンによって異なるが 古フランス語バージョンには 水とトーチ(松明)がある点でD版にとてもよく似ている。 古フランス語バージョン (32.016) I maillet de fust は D版:2179 Grete blowen bladdyrs (Great inflated bladders  大きく膨らんだ沢山の袋)に代わる語彙である。 他の中英語版では 雷の擬音を生じさせるためにキャラクターが一つの洗面器を叩き (C,R版を除く全版そこではトーチも使われる) 一本の蝋燭は稲光の効果を作り出す。 D版は恐らくトリックの描写において例えば 若い男の雇人がどのように石炭から松明に点火したのかについて の情報を含めて最も詳細である。

2183-96
  14行の和訳:
妻はベッドに腰掛けた/。 彼女を恐れおののかした事/ しかしひっきりなしに言ったのは「聖ベネディクト」/ これは何なの/ 彼女の姦淫した男が言った。/ 「じっとして怖がらないで/ 天候は稲妻、雷、そして雨だ。/ もう一度ベッドに横になって/ 鳥は立ち上がったそして見たそして聞いた。/ あの手この手のトリックによる安眠妨害(その結果どうなったのか)/ それで鸚鵡は彼が言った天気は本当だと信じた。/ それから翼の下に嘴を置いて夜明けまで一息つくのだった。/ 彼女の私通者は去った。/

この滑稽な場面(this comic scene)はD版特有である。

2213-28
16行の和訳:
夫は妻に向かった。/ そして彼女の生活を咎めた。/ 彼が留守中に彼女がした事。/ また妻を罪深い恥知らずな女と呼んだ。/ 「嗚呼、サー」彼女は言った。/ なぜ私たちは過ごすのかしらこの人生って?/ 貴方は貴方の鳥を教えるのが大好きだった。/ それなのに神の憐みによってすべて彼はうそをついている。/ 「マダム」彼は言った。/ 今あなたは偽りであると証明される。/ 私が出かけている間にあなた方は一緒に寝た。/ そしてその夜の天気は猛烈だった。/ 絶えず稲妻が光り雷が鳴り雨が降っていた.。/ 終夜朝になるまで/ そのベッドであなたの私通者が横たわっていたのだ。/

上記部分は他のバージョン(F版を除く)では余計な描写とみなされた。 なぜならば 妻は鳥から直接非難されるのを聞いているからである。 (D版では前の詩行において帰宅した夫に鸚鵡が妻の愛人が言った通りに その夜の天候と出来事を人間の言葉で告げ口した。 それを聞いた夫がそれを鵜呑みにして妻を責める場面が付け足してある。

2234   And by neghbours proue ӡe moune, (And by neighbors prove you may,  そして隣人たちによって証明されるかもしれない。)
D版とF版だけ妻が夫に 近所の人に天気について聞いてみたらどうかと勧める。 他のバージョンでは 夫が自分で考えることだ。 C版とR版では夫は 金持ちの町人(或いは商人)であり彼の使用人に尋ねる。

2241-2 
Whethyr anny rayn,thondyr, or lyӡt (Whether any rain, thunder, or lightning  雨が降って雷鳴がとどろき稲光がしたかどうかを)
Hadde be of al that seuennyght. (Had been of all that week.その週はずっと)
lyӡt のこの語形は MED (中期英語辞典)OED(古英語辞書)共に採録してない。 lyӡt は seuennyght と明らかに韻を踏んでいる。 cf.2189行の lyghtyn がより通例である。

2250  He slowe the byrde in the cage. (He killed the bird in the cage.  夫は籠の中の鳥を殺した。)
古フランス語バージョンA, 中期英語A,Ar,E,B、F版は 鳥の首をへし折る。(C,R版は鳥の背中を割る。)

2252  Bynam hys good byrd hys lyfe. (Take away his good bird his life. 彼の命であるよい鳥の命を奪った。)
他のバージョンで商人(都市の自由民)は 痕跡が示す残された幾つかの仕掛けを見て策略だとわかった。 妻と彼女の愛人が結局彼を殺してしまう F版以外彼は妻を家から追い払う。

2259  Quod the [Emperour] Maystyr Caton (Said the Emperor Master Caton 皇帝が言った。カトン先生 (MS写本は Quod the maystyr caton ;カトン師が言った。)
話しているのは皇帝なのでWright博士(ライト)は共通同韻語 anonを使って Quod the emperour anon (皇帝が直ちに言った。)と修正した。 確かに写字生が一方の名前を他方の名前と間違えて書いたと思われる。 しかしJill博士はQuod the[Emperour] Maystyr Catonがいい。 これは写字生が単に一語を省略したにすぎないことを意味する。 Emperour (彼がよくすること), 特徴のない語の代用をするよりも。 もし我々が他の中期英語バージョンを見るならば ほとんどの場合皇帝はカトン師に同じような言葉を投げかけている。 Caton,或いは Master, (Ar, E, B,版の行番号は 個々の写本のものである。)

A版: 2303-4
Anon þemperour said þan, (At once Emperor said then, 直ちにその時皇帝は言った)
"Catoun,bi him þat made man..." (Catoun, by him that made man...人間を作られた方によって)
Ar版:1331 "Parfay,master, it schall not soo. (By my faith, master,it shall not so, 私の信念によって、師よ そうはならないだろう。)
E版:2357: Mayster, quothe the Emperoure tho... (Master, said the Emperoure you...師よ 皇帝は汝が...と言った。 )
B版:2386: Nay,master, by my hede... (No. master, by my head...マスター、私の頭で)

このような応対の形式が中英語親バージョンにもあったかもしれないと示唆している。 最終的にwright博士が改編している間によりシンプルかつ 韻律によってよりスムーズである。 Jill博士の修正"Quod the Emperour, "Mayster caton.."は 皇帝が 各賢人達の物語の最後に答える他の行に似ている。
原文例:
2617: Quod the Emperour to Mayster Iese
896: He sayed ,"Maystir Bancillas,
1474: Quod the Emperour, "By swet Ihesus
1848: Quod the Emperour, "By saynt Martyn,
3082: That were me leuer,(dear) by swet Ihesus

2279-80
That thou [lese] thyn honour (That you lose your honor  陛下は貴方の名誉を失うでしょう。)
As dyd Herode the Emperour (As did Herode the Emperor  ヘロデ皇帝がそうだったように。
That leuyd concel agayn hys prowe (That believed counsel again his benefit  彼はまた自分の利益になると忠告を信じた。)
Of seuen clerkis, as dostou. (Of seven scholars ,as do you. 7人の学者の言葉 を貴方もそうです。) >
D版は他のバージョンよりも物語についてのインフォメーションを教え諭さない。
(F版以外) 古フランス語バージョンAの例
il ausint avenir comme il fist au roy herodo, qui tant tint en depit le dit do sa fame pour le conseil des VII.sages que il en perdi la veue. (大意:ヘロデ王が生じさせた未来、 妻の言ったことを無視して七賢人を味方につけてそれほどまで つなぎとめた ヘロデは失明した王。)

2279  ライト博士もlese (lose)を補った。このフレーズはD版の陳腐な決まり文句である。
例: 1868-9
Thou schalt lese (lose) thyn honour 貴方の名誉を喪失するでしょう。)
As dyde Crassus the Emp[er]our... クラッスス皇帝のように・・・)

2280  Herode: F版にヘロデの名前はない。

王妃の第11物語

2289-430  Sapientes ("The Wise Men")

2291 And hadde seuen clerkys wyse (And had seven scholar wise そして7人の賢い学者がいた。)
[......D版...この後1行飛んでいる ..写本に欠落なしだが。...]
中期英語A版との比較は 欠けている行が何であったのかを示唆している。
A版:2333-4
He hadde wiӡ him seuen wiae, (He had with him seven wise, 彼は7人の賢者を従えていた。)
Als ӡe han, of grete prise (As you have, of great high esteem 陛下のように高い位につけて非常に重んじていた。)

2292
And brogten vp a vsage (And introduced a custom or practice, そしてある習慣を導入した。 
F版において この慣習はローマ法の一部であったと言われている。

2295  O morne when the day was bryght (One morning when the day was bright   ある朝その日が明るく晴れたならば)
[........この後もう1行足りない。写本に欠落なしだが、..... 行末は恐らくcam,次行のnamと韻を踏んでいるのだろう。.....]
2296: And rych gyftis with hym nam (And rich gift with him took,そして彼らは高価な贈り物持参のことだった。 .....それと引き換えに夢占いをしてもらうという迷信が横行していた。..... )

再び他のバージョンがいくつかのヒントを与えてくれる。
C版2589-91『和訳は金子健二博士訳』
Þat whaso dremyd any nyght, (That who dreamed any night, それは誰でも夢を見たものがあって)
And come vnto þe clerkes ful right (And come into the scholars quite right その人が直ぐ是等の学者を訪れ)
And broght a besant til ofring..... (And brought a Byzantine coin till offring.... そして黄金の貨幣、ビザンティンコインを持って来てこれを彼等に渡し...)
多分D版の行欠でも夜夢を見たものが学者の所に来ることになっていると我々に 告げていたのだろう。

  2299   And wannyn riches to hare byhoue, (And obtained riches to their advantage, 彼等(七賢人)に有利な富を得た。)
F版において学者達はこの地(land)のほとんどすべての金を集め 宝物庫を作ったと伝えられる。
1616  And ryght aboue Rome yate (And straight above Rome gate   そしてまっすぐローマ門の北に。)

2303   A[n]t lete ham haue al hare weille, (And let them have all their will, 『彼らにすべて思い通りの判断を持たせるのだ。DeepL機械翻訳
At はもしかするとAnd のエラーかもしれないが ant はD版において他にも4回見つかっている。 下記はこのあらゆる4例:
1939: Ant, wenten hom tho hyt was euen, (And went home when it was evening, そして夕方になって家に帰った。 )
1945:That be wys man, ant can (That is wise man, and can  それはできることなら賢い男を )
1992: Ant went hom with much honour, (And went home with much honor, 『多くの栄誉とともに家路に着いた。DeepL機械翻訳』)
2102: Ant went to the Emperour anoon, (And went to the Emperor at once, そして直ぐに皇帝のもとに向かった。

2305-10
6行の和訳:
その皇帝は病気になった。/ 奇妙極まりないことには/ 彼にどんな事があろうとも/ ローマを出立して遊びに行った。/ 彼が街の外まで来た時/ 直ぐに彼の視力が奪われた。/

D版は皇帝の病気に関する記述においてフランス語版に非常に 忠実に従っている。
Li enperieres avoit tel maladie que, quant il voloit chevauchier hor de rome, il avugloit ne n'en pooit issir  (皇帝は病気になった。その病は彼がローマの外に 馬に乗って行くことを望んだ時、 彼は失明した....????...(33,004))
中英語Yグループは異なり 皇帝はある日ローマ門から出かけた瞬時に目をやられて失明したと述べている。 彼がthe city:街を出ようとした時にだけ盲目になったわけでない。 F版では 皇帝が盲目になってしまったのは彼が学者の宝塔の傍を通った時だったと付け加える。

2316   Hele hym of that maladye, (Heal him of that malady, or disease, or illness  『その病を治してあげて。DeepL機械翻訳) 他のバージョンでは 学者達は14夜(2週間)の延期を求めている。 (失明した病の原因を告げ癒すことができるというマーリンを探す旅程)