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原書 THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)

ローマ七賢物語 (ミッドランドバージョン) オックスフォード大学出版 2005

原文の解釈ノート

1272-3
Than he had that hys fadir gate, (Then he had that his father got, その後彼は父の得たものを手に入れた。)
Hys fadir deth he al forgat. (His father's death he all forgot. 父の死を彼はすべて忘れた。)

D版は物語の終わり部分を物語の全般的メッセージに余分なものとして 省略している。 その他のバージョンにおいて 学者は家に帰ってから家族に何が起こったのかを話す。 塔の番人であるもう一方の学者は首のない死体を発見してもその人を見分けることが できなかった時彼はそれをローマ街道を通って引きずり回すよう命令する。 死体を見て感情の兆候がいくつも見られる人は誰でも 死者と関係があるに違いない。 学者の家族が死体を見た時彼らは確かに悲しみがおのずと露わになるが 嫌疑から逃れるために息子は自分で傷をつけて その傷が彼らの苦悩の理由として述べられる。

1284  Thus hys wyf, that cursyd lyste, (Thus his wife, that cursed a cunning person,  こうして彼の妻、たちの悪い巧妙な人。)
Wright博士がlyfteというスペルに書き換え MED(中期英語辞書)はもう一例とともに 'an evil person' 悪者として注釈した。 (名詞として目的格 lift の見出し語の下にある。) 正しい読み方はlyste のはずだが(下記注参照) MEDのよる定義は ’? a cunning or crafty person,'(こうかつな、悪賢い人) ' ? evildor'(常習的な悪人) (引用は一件のみ'John Mirk's Festial ジョン・ミルクの「祝祭」から。)

1285  Brewed the childys deth that nyght. (Contrived the child's desth that night. その夜子供を殺そうと企んだ。)
オリジナル写本は1284行lysteと韻を踏むためにnyste という文字(あるいはいくつかの異形文字)を読んだに違いない。 MED(中英語辞書)はnist  をミッドランド南西部地方に属する綴り字として言及する。明らかに D版の写字生がオリジナル方言の要素であるこの珍しい形式(nyste:ModE.night)に 暗かった。

1286  Vppe o[n] the morwen lange are prime (Up on the morning long befor the canonical hour  朝、時祷書(中世装飾写本)の礼拝時間よりもずっと早く起きた。) ローマの七賢物語写本D版の解釈 Vppe of はこの場所の意味に関してどのような 形式によっても裏付けられない。 従ってo[n]と修正された。

1294   And toward the stud[e](ライト博士版はstudye) thay hym lede (And toward a place of learning they him led そして学問の場所に彼を導いた。)
MEDもOEDもwright博士編集のstudyeをplaceという意味の可能な語形として リストに載せていないためstudeに修正した。 studeという語形はオリジナル南西ミッドランド方言に属していたはずだ。 そして写字生の無案内がかくしておそらくエラーに通じてしまい 下記129-134行においては stude と studye が学習の場所の意味で互換性を以て使用される事実によって 一層ひどくなった。
129 : Ware thay myӡte a stude make, (Where they might a place of learning make,  学問の府を作る場所、)
133: A studie( 本来はstudy, thoughtの意味) thay fonden swyth fayre, (A place of learning they constructed very fair, 彼らが建設した学び舎は大変美しかった。)
134:  And a stude of good eeir; (And a place of learning of wholesome air, そして健全な空気の学びの場、)

しかしながら、place 場所を表すstudeは別の箇所で保存されている。
1738  And anoon in the stude (And soon straightaway  そして直ちに『とんとん拍子 DeepL機械翻訳』)
このstudedudeと韻を踏んでいるが 下記行(第12物語、The widow;未亡人) においても十中八九置き換えられている。

2561  And hangge hym in hys stede, (And hang him in his position occupied by someone,  彼をある人物が占有していたポジションに吊るす。)  
2607  And hanged hym in that ilke stede, (And hanged him in that same place,そして彼を同じ場所に吊るした。)

両対句のstedeの脚韻はdydeで崩れた語形の改悪された不完全韻に帰している。

1297   Hys o maystir hym mette thareatte, (His one of his masters him met thereat. 王子の師達の一人がそこで彼に出会った。)
the MED(中英語辞書)はこの'o' を 'own'(自分自身の)と注解するが本書NoteのJill博士は 'one'の方がいい。(すなわち:the child met 'one of his [seven] masters:子供は彼の7人の師達のうちの一人に会った。

1308   (Note304行, 306行 で訳注済)

1312   "Syre," quod Maystir Lentulus, ("Sir,"said Master Lentulus, 「陛下、」レンチュラス師は言った。 )
[対句となる1行欠損........... (写本には空行はないが) Lentulusと韻を踏める陳腐な類推はIhesus.]
このない詩行と脚韻語について他の中英語バージョンは一切手がかりを与えない。
1313  'I ne leue hit nouӡt by my lyf,  (I don't believe by my life, 私は信じない私の人生によって) 欠行もby my life の宣誓の形式で終えるとすると.....by Ihesus, となり写字生の目が1312....Lentuliusの次の次の行末 lyfへ飛ばし読みをしてそれが1313行末に置き換わって そしてその時 .あるべき対句....Ihesusの行を完全に抜かすことになりながら 1313のby my lifeは、 1314 (To do vylany by thy wyf. 貴方様の奥方を凌辱するなどとは) の in your wife と脚韻を踏んでいた。

1317-1318  So mote the bytyde in thy lyfe. (So must you happen in your life  貴方の人生にもそんなことが起こるにちがいない。)
As dyd the olde man in hys lyf. (As did the old man in his life.  老人がそうしたように彼の人生で)
他のすべのバージョンではこの部分で his wif, his wif と綴る行がある。 だから13181317:lyf との同韻語 "wife"で句末が終わるべきだった。 (おそらくhys wyf)
フランス語では:
il ausi avenir conme il fist riche home de sa fame (20.012) (il aussi avenir comme il fit au riche homme de sa femme   彼もまた将来彼がしたように・金持ちの妻に

レンチュラスの第6物語

1333-1473  Puteus ('The Well' 井戸)

1333  Hyt was a man and hadde a wyfe, (It was a man and had a wife, 一人の男で妻がいた。)
中世フランス文学の韻律体版の 古フランス語バージョンA※において 彼は妻も世継ぎもいなかったので 彼の友人達から結婚するように説得された。 他の中英語原文(F版を除く)においてその男は 彼の近隣の娘達を拒絶してはるばる遠く離れたところから 妻を迎えることにした。彼女には美徳の誉はなかったそうだ。 F版におけるその男はすでに2度結婚していたがそれでも F版535-536: He wedded hym a wyfe sauage (He weded him a wife savage  彼は粗野な妻を娶った。)/ Thorow couetyse of herytage (Throught the courtesy of heritage 世襲財産のおかげで)/  Campbell (キャンベル博士)は F版のこの特徴は"Tentamina"(The trials, 第8物語、試み) の冒頭から借用されたものだとそれとなく言う。

1335-1338
4行の和訳; 彼女は若く他者の目を気にしなかった。/ そして夫は老いていた。/ 彼の肉体的快楽が減り出した。/ それから彼女は別の恋人を作った。/   D版はこの2対句でフランス語版を最もよく反映している。Yグループ原文は 若年の妻と老年の夫のコントラストを省略している。 F版の妻の愛人は騎士に召し抱えられた新参者である。 中英語版では女の元恋人が彼女のホームタウンから追いかけて来る。 他のすべてのバージョンはちょうどこの時にローマの 夜間外出禁止令の法律に触れる。 (D版は、下記1413-1417 まで参照文を配列してある。) 5行分の和訳: 当時の法律は極めて厳しかった。/ もし夫が売春宿にいたら/ 彼は罰を受けるべきだ。/ そのために彼は零落するだろう。/ そして夜な夜な武装した男達がそこへ行った。/
(Campbell博士の'study' p.73によれば) このような夜間外出禁止令には言及していないF版はそれでいて 犯罪者に対する罰として死の裁きにかかることではD版と同系である。 古フランス語バージョンA※において この法律を破って与えられる処罰は公開鞭打ちである。 Yグループでは(F版を除き)犯罪者は町中を追い回される。

1339  In bed as thay lay in fere (In bed as they lay in together ベッドで二人一緒に横になって。 ) 他の中英語版において 夫は妻の夜毎の出立に気づいていたと我々に知らせる。 ある夜彼は酔った振りをして眠り始める。 これに釣られて(このディテールはF版にもある。) 妻は愛人に会いに行くために起き上がる。

1355   The wyf fande the dore faste; (The wife found the door fastened  妻が気づくとそのドアは閉まっていた。) 古フランス語バージョンA※と中英語版A,Ar,E,B において夫は窓へ行き彼女が彼が鍵をかけて締め出されたことが分かる前に 妻にたちはだかる。

1365-66
Tomorwen sal oppon the goune (Tomorrow shall upon you stare 明日あなたをじろじろ見るだろう
As many men as been in town, (町にいる多くの人だかりのように
妻が公衆の面前で痴情好きに受容されるのを見たいというのは D版特有である。 下記も参照のこと
1375-1376  Ar alle our frendys ilkon, (Before all our friends each one, 何より我ら皆の友達めいめいが)/ Haue gounde oppon thy body alon, (Have stare upon your body only, 貴女の肉体のみに目を向けるよ。

1389-1390
And hadde reuthe of hys wenche, (And had felt pity for his young woman,  そして彼の若い夫人を可哀そうに思った。)
And wende ho wold hyrself adrynge, (And believed she would herself drowned,  そして彼女が入水自殺したのではないかと信じた。
1390行adrynge の オリジナルはきっと1389行wenche と韻を踏ませるために adrenche と読み合わせてあったに違いない。 写字生はこの動詞をこなれていた彼の動詞に置き換えている。

1398  And stek to the dore anoon. (And fastened the door at once. そして直ちに戸の閂を下した。) F版を除き他のすべてのバージョンで夫は戸を閉める音を聞いて そこにいるのは誰だと尋ねる。 古フランス語バージョンA※で 彼は井戸へ行き彼女がそこにいるかどうかを尋ねると 彼の妻は家から答える。

1399  The godman was ful vuele my[t]t[e] (The husband was in great deal of trouble  夫は非常に困りました。
He sowt hys wyf in the pytte, (He sought his wife in the well, 彼は井戸で妻を探した。)
Wright版の写本"ful vuele myght は明らかに改悪である。 Dr,Jill Whitelock による修正可能は、"my ful vuele my[t]t[e], 意味は"with great evil" 悪逆無道? 『たいぎゃくむどう DeepL機械日本語訳』 (That was in great deal of trouble)

1405  And loue hir so myche (And love her so much 彼女をとても愛している。) 主語代名詞 he の非表現(218 Noteで訳注済み)

1417  And armyd men by nyght thare ӡede (And armed men by night there went それで武器を持つ男達が夜そこへ行った。)
[................] 少なくとも1行欠けている。 (写本に脱行はないけれども) その他のバージョンはD版がまだパッセージの意味を持っていることを 示唆しているので1417行と韻を踏む行が1行足りないだけかもしれない。 (C版の第6物語冒頭には前述したように次のような台詞がある。)
C版:1527-35 金子健二博士の和訳のみ: この街に一つの習慣がありました。/ これは主人も僕も守ってをつたものであります。/ その習慣といひますのは、誰でも町内で捕へられたならば.../ 獄吏の為めに直ちに絞められて、/ 忽ち獄につながれるといふその習慣でありました、/ そしてその翌朝、如何なる事があろうと頓着無しに、 彼等はその者を判官の前につき出します、/ それから人々は町内を悉く引きまはします。/ 』  

1430  To thyn hore, there tho were, (To your whore, there you were  貴方のあそびめそこに貴方がいたところへ)
tho は Wright版では tho[u] に校訂した。 このフォームは中英語辞書によって使用を実証される。

1432  To speke fayre he to hede, (To speak kindly he took heed to her,  親切に話すために彼は彼女に気を配った。)
MED(中英語辞書)は、"take"の単数過去時制に このto を南西部ミッドランド地方の異形として含み D版のオリジナル方言である。

1455  That standys here thys tyme nower? (That stands here this time now? この時間にここに立っているのか?)
Yグループ(F版を除く) において夜警はその妻に夫を家の中に連れ戻すチャンスを与え彼女はそれを拒絶する。

1446-55  スパニエル犬を探すという夫の言い訳は D版のユニークな点である。
10行の和訳: 嗚呼夜回り殿こりゃ驚いた。/ 私はその理由を教えてあげよう。/ 私は忠実なスパニエル犬を飼っていた。/ 私はこの七夜ずっとそれがいないのに気づいた。/ そしてそれがどのように起こったのかわからない。/ 『私の思いが外に聞こえた。DeepL機械日本語訳』/ なので彼を呼びに外に出た。/ すると妻がさし錠をさして/ 戸の中にいる冗談で/ 行って、神の御名/

1466  And lay alle nyght in mykyl sorowe, (And lay all night in great sorrow, 一晩中悲しみに埋もれて横たわった。 )
C版とR版において 妻の情人は家の中で飲み食いする。

1469  And thorow his wife he was schent. (And through his wife he was killed,  そして彼は妻のために殺された。)
D版とF版ばかり夫が殺される結末となる。