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原書 THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION)

ローマ七賢物語 (ミッドランドバージョン) オックスフォード大学出版 2005

原文の解釈ノート

74  Mayster Caton  シリア王の娘'Sereyne'セレーネはいかに七賢人がローマから海中に追放されてどんな状態でCaton がシリア海岸に上陸して王のチーフカウンセラーになったのかを説明する。 七賢物語のようにGeneridesジェネリデスは'Potiphar's wife'(ポティファルの妻)を含む。動機:ジェネリデスは彼を誘惑していた継母によってレイプ未遂の無実の罪を負わされた後 ペルシャのサルタンの娘を誘惑したと濡れ衣を着せられたにもかかわらずサルタンの相談役数名の介入により救われる。 "the Seven Sages "(七賢物語) のフランス語続編には、その長さと複雑化した構想、編み込まれた筋の詩行において ”the composite Romance”との類似物が沢山あると論評する価値がある。 いずれにせよこれらの続編は英国でも知られていた。 Lewis Thorpeルイス・ソープは、Gower(1330頃-1408 英国の詩人)が古フランス語の”Roman de Marques"(Seven Sages 七賢者)を知っていてそれを 彼の"Confessio Amantis" (コンフェシオ・アマンティス 第2巻) の"The tale of the False Bachelor" (「偽りの独身者の物語」)に使ったと 論証した。(コンフェシオ・アマンティス ストーリー 現代言語レヴュー43 175-81)

84  That no berd non bygane. (That no beard was created. 髭を生やしていませんでした。)   D版は古フランス語散文バージョンA※に倣う。[Il n'ot ne barke ne grenon]  中英語Yグループはこのディテールを省略する。

87   by myn attente (by my effort ,or striving  私の努力で、頑張って) MED中期英語辞書の一例

116  Ther the childe schulde lere. (There the child should receive instruntion. そこで王子が教育を受けるべき。) 古フランス語バージョンA※と中期英語Yグループにおいて 王子がまず連れて行かれる場所は教会会議室と指定されている。

128  Or the childe ware sette aprise, (Before the child were set to learning, The sages set him to learning, 賢者達が彼に勉強を始めさせる前に、)
前項, 16 sette to lore : (set to learning: 教え込む
D版の活用語apriseは, à apriseに対応するので apriseは古フランス語起源の語である。それで D版の校訂者はその語形に精通していたことが明らかになる。 古フランス語バージョンA※は à aprendreを使用して王子の教育を描写する。 すなわち: Li sage le conmencierent(commencèrent ) à aprendre(apprendre) et à enseignier(enseigner) (02,019)

129  Ware thay myӡte a stude make,(Where they might a place of learning meke, そこは師達が学問所を建てねばならない所でした。)
stude は中期英語辞書の見出し語stedeより引用すると 宗教法人、修道院、僧院を意味するが宗教的背景はないので 私(Jill博士)はそれを学問所、学問の府a place of learningを意味する studie(study,thought)の異形(言葉の綴り字)として注解 をほどこした。

133-4  A studie they fonden swyth faire (A place of learning they built very fair 彼らは大変美しい学び舎を建てました。 / And a stude of good eeir: (A building site of wholesome air: 建築地は滋味あふれる空気、or 健全な空気でした。) 
fonden 写本の読み方はfinden(現代英語 find) の過去時制である。しかし私(Jill博士)はfondenfonden,(古フランス語foundenの過去時制(built, constructed)のように語句注釈した。

148  The seuen sciens payent therin. (The seven liberal arts portrayed therein.  自由七課の肖像画は講堂に描かれました。) 古フランス語バージョンA※と中期英語Yグループは正確に添削してthe seven liberal arts (教養七学科)という名をつける。 王子教育とは継承権及び後継者の知恵確かなりを問うことが重要テーマである東洋作品と七賢物語が連鎖するだけでなく 中世の伝統文化である「王子の鏡」(枠物語において優れた中英語の英国詩人ジョン・ガワー:Gowerの長編詩「恋する男の告解」原題Confessio Amantis: BookVII)にもつながる。ドロパトス物語( ラテン語,フランス語で書かれた七賢物語の由来に通じる書物)において王子教育はなお更斯く斯くの次第である。 しかし七賢物語のいくつかの版は礼儀も教育上重要な考慮すべき事柄と説く。 『ロマンスにちなんだ改変を強調する。Deepl 翻訳ツールの和訳』 (参考文学史ジャンル roman courtois  ロマンクルトワ 中世の騎士道恋愛物語
古フランス語バージョンK: Li Romans des Sept Sages の例。 皇帝には七賢人による教育期間中ずっと王子に付き従って彼に礼儀を教えるための一人の臣下(a master)がいる。 (Speer, Sept Sages II 347-54)  後添えとなった新しい皇后は皇帝に王子よコンスタンティノープルへ帰って来いと命令するよう説得する。 騎士道と礼儀を学ぶにはローマよりもそこの方がよりよいと言いながら・・・

以下古フランス語
Ja fust il miels en cest païs
que a Romme(Rome), che m'est avis(mon avis 私の意見)
et si veïst chevaleries (chevalier 騎士道)
et apreïst (apprendre 学ぶ) cortoisies (courtoisie  礼儀)     (II 443-6)

161 That or the seuen ӡere were goon, (That until the seven years were gone,七年の月日が経つまで、 ) 古フランス語バージョンA※で子供は7年かかってすべてを学んでいる。 中期英語Yグループでも7年間(F,Eを除く、Brunner のノートII 184-5) 彼は4年目に先生と論述し5年目に天文学について議論しそれに続いて6年目に先生たちからテストを受ける。

177   The childes bede wa[s] maked in stage (The child's bed was made of a rised platform 子供のベッドは一段と高くなったような壇で作られていました。) 下記2例もLALME, MED,OED(中期英語、古英語辞書)に登録されてないので エラー扱い。
703  For the childe hym wa[s] wo- (For the child woe was to him,『その子供には災難でした。DeePL翻訳』
1940  On the morwen wen the day wa[s] bryӡt, (In the morning when the day was bright, 太陽が昇り出て輝いている朝

180  Aste the clercus hemseluen sayden- ( As the {the} clerks themselves said-  学者達は自分たちが言うように、): この写本のAsteは明らかにより昔の "As the" から短縮した語であったが 写字生はそれを容認したにもかかわらずなおかつ定冠詞 the をつけてしまい逐語訳だと As the the...と筆写したことになる。以下はその例
701  Aste the thef wold hir haue schent. (As the {the}scoundrel would her have violated. ならず者があたかも彼女を犯したように)
3201  Anoon aste the childe was knowen,  (As soon as the {the} child was known, その子供が知られるとすぐ、)

184  The childe awakid there he lay. (The child awaked there he lay. 子供は目を覚ますとそこで横になっていた。) 古フランス語バージョンA※や中英語Yグループと違って D版は王子がまだベッドにいる間にテストを行う。 D版は賢人たちと王子のやり取りを 他の中期英語バージョンや古フランス語バージョンA※の長さの約3倍に拡大する。 詩全体を通じて直接話法を好む傾向が顕著である。

206 How myӡte the rofe awale? (How might the roof drop down?,or to sink? どうして屋根は落下したのでしょうか?、屋根が下がるのはどうしてだろう?) 中期英語辞書によって実証された異形綴り awaleは古フランス語avaler経由であるとした。 (現代フランス語の意味は飲み込む、むさぼり読む、無邪気に信じ込む、etc.

218  Maden the bedde as hit was.  (Made the bed as it was. 従前の通りベッドを整えました。)  賢人達がベッドを以前のようにメーキングするディテールはD版唯一である。 この詩行は主語として用いる代名詞の非発現(non-expression)の一例(svoのsがない文型)を含む。Madenの複数語尾は、ベッドメーキングする主語は王子ではなく七賢者であることを示す。 以下の例も御覧なさい。

447: Yf euermore shal haue speche. (If evermore shall has speech. もしも永久ならば言葉をかわすでしょう。※non-expression主語は王子は、の代名詞he)
1405: And loue hir so myche- (And love her so much- 彼女をそれだけ増々愛しているのですからー ※non-expression主語は夫は、の代名詞he)
1538: When herde thys thythyng, (When heard this tiding, この報知を聞いた時、 ※non-expression 主語はイタリアアプリア王は、のhe)
1974: Ham tolywryd a man anon, (Them delivered a man at once, 直ちに一人の男を彼らに引き渡した、 ※non-expression主語はローマ皇帝は、のhe)
2821: Bot when wolde comen hyr to. (But when would come to ter, 彼女の居室に来る時を除いては。※non-expression主語はハンガリーの騎士は、のhe)
3052: Tollyd hys oune wyf away! (Led his own wife away!  彼自身の妻を運び去らせるのでした。※non-expression主語はアプリア国王は、のhe)
3261:  And sayed,"Certis, that haue het  (And said, "Certainly that have promised  (そして言いました。「確かに約束したこと、※non-expression主語は3羽のカラスの鳴き声に悩まされた遠国の王様は、の I)
3405:  That let the treson make (That let the treason make   反逆を起させる、※non-expression 主語はローマ七賢物語の皇后は、のshe)

223  Hys modir the deyed that hatte Elye, (His mother died who called Elye, エリーという名の王子の母が死にました。) D版のみ王子の母の死をこの時点(七賢人に師事してから7年足らずにして4本の柱の下に4枚つづりの蔦の葉を敷いたベッドに横たわり 天井空間のトリックを解くテストを受けていた。)に置くが他バージョンは冒頭ページの詩行で息子誕生後7歳になって死んだとある。彼がいない所での彼女の死(親の死に目に会えないこと)と死後すぐ父が再婚することによって皇后の代替わりは重要さを増す。 フランス語バージョンHは母と継母の交換について同様な不安を描いている。 末期の皇后は夫に彼が再婚するのを知っていると言い 皇子を家から離れた場所で教育するように頼んで 新妻に皇子を支配する権力を持たせないよう求めるのである。

235  The Emperour was iolyf ob blode, (The Emperor was amorous,  皇帝は好色でした。) MED(中英語辞書)引用:次の語がbで始まるとき ofの変異形obである。  皇帝の欲望が再婚の動機となったというのはDに特有な語表現である。 冒頭11行目(an old man)は皇帝の老齢化を強調していたが235行目で a senex amans(セネックスアマン、 年老いた恋人、好色な老人)として彼を確立する。 『senex: 特に喜劇でお決まりの登場人物としての老人。 研究社の英語大辞典より引用』 下記は中世文学におけるネームバリューのある多くのコミックストーリー例:
Chaucer's The merchant's Tale :チョーサーの商人の物語
The Seven Sages's own Putes: 七賢物語の枠組み第6物語の井戸
Petrus Alfonsi's Disciplina Clericalis: どこかよそで 現れるポピュラーな中世のストーリー『綺談、御伽草子、 DeepL機械翻訳』、ペトルス・アルフォンシのディシプリナ・クレリカス(12世紀初頭
Boccaccio, Deccameron: ボカッチョ、デカメロン1348~1358 イタリア語
Gower(ガワー,1330?-1408)はあとでセネックスアマンをConfessio Amantis 『恋人の告解』、その他の枠物語の中心人物として利用する。 (アマンの年齢は詩の最後まで露わにならないが。)七賢物語と『恋人の告白』は両方共に セネックスアマンの教えと忠告が物語の目的である。 七賢物語においては恋人もまた支配者であり、そしてガワーの作品においては政治的寓意が表面から 決して程遠くない。(一際Book7. アリストテレスによるアレクサンダーの教育を扱ったものであるがもっと一般的には セルフガバナンス(個人の自己統治)という概念が国家の善政とどのように関係しているか ということである。

251-2  Bot it lastid bot a while-( But it lasted but a while- しかしそれは少しの間しか続きませんでした。
The wyf fordide hir with a gyle.(The wife dstroyed it with a lie. 妻がそれを嘘で壊したのです。
このようなナレーターの傍白はDでは珍しいことではなく下記がその例です。
279-80
Of falsnesse non heed he nam,(Of falseness he did not take notice, 彼は虚偽に注意しませんでした。)
Bot at the last out hit kame. (But at the last it came out. しかしそれは明るみに出ました。)
293-5
Bot the Emperour wist nought. (But the Emperor know not.  しかし皇帝は知りませんでした。)
What was hire wikked thought  (What was her wicked thought  彼女の邪悪な思案の何たるかを)
On euyl deth mot scho dey! (She must die an unfortunate death!  彼女は不運な死を遂げなければなりません。)
296
She purchasede thourugt nigremancye (She brought about through necromancy  彼女は魔法によって もたらしました。)

261  In a myry mornyng of May (In a merry morning of May  5月の気持ちの良い朝、)
ロマンス物語に共通する季節的な常套表現をD版に用いる。

265  Sir, scho sayed."Hit is me told (Sir, she said "It's me told 陛下、彼女は言った「ご子息がいらっしゃるとのことです.....  再婚した妻が前妻の子供の存在を知ったのはいつか?)  古フランス語バージョンA※、中英語版A,E,B,は皇妃が皇子の存在を問うたこの時点で 彼女は結婚して7年目になっていた。 F版では、皇后に王子についての情報を与える従者が貴女は結婚して3年目になるが皇帝には息子がいると告げる。 C,R,版はD版と同様に皇妃の婚姻期間には全くふれてない。
C版:Sone efter &thormn;at fel ferly case; Soon after that fall wonder case; 『その直後驚くべき事が起こっていました。』 C,R版は再婚直後に皇妃がローマの親元を離れて学んでいる皇子の事柄を告げられた。 D版はsoonすぐにの点でC版に近似している。 D版:The Emperasse was sone tolde (The Empress was soon told 皇妃はすぐに知らされました。) もし古フランス語バージョンA,中期英語版A,E,B,Ar,F の叙述部が厳密な時系列ならば王子がローマに戻るときにはD,C,R版よりもっと 年をとっているはずだということになる。しかし皇帝の再婚は賢人たちによる王子のテスト後でなく 王子がローマから出立したすぐ後行われたと解釈する方がよいと思う。 Yグループ原文では後の文脈で物語るこの物語の過去の過去に起こったことのある時点だけれども。