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2023年 翻訳中です。notes2 原書 THE SEVEN SAGES OF ROME (MIDLAND VERSION) ローマ七賢物語 (ミッドランドバージョン) オックスフォード大学出版 2005原文の解釈ノート74 Mayster Caton シリア王の娘'Sereyne'セレーネはいかに七賢人がローマから海中に追放されてどんな状態でCaton がシリア海岸に上陸して王のチーフカウンセラーになったのかを説明する。 七賢物語のようにGeneridesジェネリデスは'Potiphar's wife'(ポティファルの妻)を含む。動機:ジェネリデスは彼を誘惑していた継母によってレイプ未遂の無実の罪を負わされた後 ペルシャのサルタンの娘を誘惑したと濡れ衣を着せられたにもかかわらずサルタンの相談役数名の介入により救われる。 "the Seven Sages "(七賢物語) のフランス語続編には、その長さと複雑化した構想、編み込まれた筋の詩行において ”the composite Romance”との類似物が沢山あると論評する価値がある。 いずれにせよこれらの続編は英国でも知られていた。 Lewis Thorpeルイス・ソープは、Gower(1330頃-1408 英国の詩人)が古フランス語の”Roman de Marques"(Seven Sages 七賢者)を知っていてそれを 彼の"Confessio Amantis" (コンフェシオ・アマンティス 第2巻) の"The tale of the False Bachelor" (「偽りの独身者の物語」)に使ったと 論証した。(コンフェシオ・アマンティス ストーリー 現代言語レヴュー43 175-81) 84 That no berd non bygane. (That no beard was created. 髭を生やしていませんでした。) D版は古フランス語散文バージョンA※に倣う。[Il n'ot ne barke ne grenon] 中英語Yグループはこのディテールを省略する。 87 by myn attente (by my effort ,or striving 私の努力で、頑張って) MED中期英語辞書の一例 116 Ther the childe schulde lere. (There the child should receive instruntion. そこで王子が教育を受けるべき。) 古フランス語バージョンA※と中期英語Yグループにおいて 王子がまず連れて行かれる場所は教会会議室と指定されている。
128
Or the childe ware sette aprise,
(Before the child were set to learning,
The sages set him to learning, 賢者達が彼に勉強を始めさせる前に、) stude は中期英語辞書の見出し語stedeより引用すると 宗教法人、修道院、僧院を意味するが宗教的背景はないので 私(Jill博士)はそれを学問所、学問の府a place of learningを意味する studie(study,thought)の異形(言葉の綴り字)として注解 をほどこした。 133-4 A studie they fonden swyth faire (A place of learning they built very fair 彼らは大変美しい学び舎を建てました。 / And a stude of good eeir: (A building site of wholesome air: 建築地は滋味あふれる空気、or 健全な空気でした。) fonden 写本の読み方はfinden(現代英語 find) の過去時制である。しかし私(Jill博士)はfondenを fonden,(古フランス語founden)の過去時制(built, constructed)のように語句注釈した。
148
The seuen sciens payent therin.
(The seven liberal arts portrayed therein.
自由七課の肖像画は講堂に描かれました。)
古フランス語バージョンA※と中期英語Yグループは正確に添削してthe seven liberal arts
(教養七学科)という名をつける。
王子教育とは継承権及び後継者の知恵確かなりを問うことが重要テーマである東洋作品と七賢物語が連鎖するだけでなく
中世の伝統文化である「王子の鏡」(枠物語において優れた中英語の英国詩人ジョン・ガワー:Gowerの長編詩「恋する男の告解」原題Confessio Amantis: BookVII)にもつながる。ドロパトス物語(
ラテン語,フランス語で書かれた七賢物語の由来に通じる書物)において王子教育はなお更斯く斯くの次第である。
しかし七賢物語のいくつかの版は礼儀も教育上重要な考慮すべき事柄と説く。
『ロマンスにちなんだ改変を強調する。Deepl 翻訳ツールの和訳』
(参考文学史ジャンル roman courtois ロマンクルトワ 中世の騎士道恋愛物語
) 以下古フランス語 161 That or the seuen ӡere were goon, (That until the seven years were gone,七年の月日が経つまで、 ) 古フランス語バージョンA※で子供は7年かかってすべてを学んでいる。 中期英語Yグループでも7年間(F,Eを除く、Brunner のノートII 184-5) 彼は4年目に先生と論述し5年目に天文学について議論しそれに続いて6年目に先生たちからテストを受ける。 177 The childes bede wa[s] maked in stage (The child's bed was made of a rised platform 子供のベッドは一段と高くなったような壇で作られていました。) 下記2例もLALME, MED,OED(中期英語、古英語辞書)に登録されてないので エラー扱い。703 For the childe hym wa[s] wo- (For the child woe was to him,『その子供には災難でした。DeePL翻訳』) 1940 On the morwen wen the day wa[s] bryӡt, (In the morning when the day was bright, 太陽が昇り出て輝いている朝)
180
Aste the clercus hemseluen sayden-
( As the {the} clerks themselves said-
学者達は自分たちが言うように、):
この写本のAsteは明らかにより昔の "As the" から短縮した語であったが
写字生はそれを容認したにもかかわらずなおかつ定冠詞 the をつけてしまい逐語訳だと
As the the...と筆写したことになる。以下はその例 184 The childe awakid there he lay. (The child awaked there he lay. 子供は目を覚ますとそこで横になっていた。) 古フランス語バージョンA※や中英語Yグループと違って D版は王子がまだベッドにいる間にテストを行う。 D版は賢人たちと王子のやり取りを 他の中期英語バージョンや古フランス語バージョンA※の長さの約3倍に拡大する。 詩全体を通じて直接話法を好む傾向が顕著である。 206 How myӡte the rofe awale? (How might the roof drop down?,or to sink? どうして屋根は落下したのでしょうか?、屋根が下がるのはどうしてだろう?) 中期英語辞書によって実証された異形綴り awaleは古フランス語avaler経由であるとした。 (現代フランス語の意味は飲み込む、むさぼり読む、無邪気に信じ込む、etc.) 218 Maden the bedde as hit was. (Made the bed as it was. 従前の通りベッドを整えました。) 賢人達がベッドを以前のようにメーキングするディテールはD版唯一である。 この詩行は主語として用いる代名詞の非発現(non-expression)の一例(svoのsがない文型)を含む。Madenの複数語尾は、ベッドメーキングする主語は王子ではなく七賢者であることを示す。 以下の例も御覧なさい。
447: Yf euermore shal haue speche. (If evermore shall has speech.
もしも永久ならば言葉をかわすでしょう。※non-expression主語は王子は、の代名詞he) 223 Hys modir the deyed that hatte Elye, (His mother died who called Elye, エリーという名の王子の母が死にました。) D版のみ王子の母の死をこの時点(七賢人に師事してから7年足らずにして4本の柱の下に4枚つづりの蔦の葉を敷いたベッドに横たわり 天井空間のトリックを解くテストを受けていた。)に置くが他バージョンは冒頭ページの詩行で息子誕生後7歳になって死んだとある。彼がいない所での彼女の死(親の死に目に会えないこと)と死後すぐ父が再婚することによって皇后の代替わりは重要さを増す。 フランス語バージョンHは母と継母の交換について同様な不安を描いている。 末期の皇后は夫に彼が再婚するのを知っていると言い 皇子を家から離れた場所で教育するように頼んで 新妻に皇子を支配する権力を持たせないよう求めるのである。
235
The Emperour was iolyf ob blode,
(The Emperor was amorous, 皇帝は好色でした。)
MED(中英語辞書)引用:次の語がbで始まるとき
ofの変異形obである。
皇帝の欲望が再婚の動機となったというのはDに特有な語表現である。
冒頭11行目(an old man)は皇帝の老齢化を強調していたが235行目で
a senex amans(セネックスアマン、
年老いた恋人、好色な老人)として彼を確立する。
『senex: 特に喜劇でお決まりの登場人物としての老人。 研究社の英語大辞典より引用』
下記は中世文学におけるネームバリューのある多くのコミックストーリー例:
251-2
Bot it lastid bot a while-( But it lasted but a while- しかしそれは少しの間しか続きませんでした。)
261
In a myry mornyng of May
(In a merry morning of May 5月の気持ちの良い朝、) C版:Sone efter &thormn;at fel ferly case; Soon after that fall wonder case; 『その直後驚くべき事が起こっていました。』 C,R版は再婚直後に皇妃がローマの親元を離れて学んでいる皇子の事柄を告げられた。 D版はsoonすぐにの点でC版に近似している。 D版:The Emperasse was sone tolde (The Empress was soon told 皇妃はすぐに知らされました。) もし古フランス語バージョンA,中期英語版A,E,B,Ar,F の叙述部が厳密な時系列ならば王子がローマに戻るときにはD,C,R版よりもっと 年をとっているはずだということになる。しかし皇帝の再婚は賢人たちによる王子のテスト後でなく 王子がローマから出立したすぐ後行われたと解釈する方がよいと思う。 Yグループ原文では後の文脈で物語るこの物語の過去の過去に起こったことのある時点だけれども。 |
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